母校へランニング

9時起き。朝飯に、ご飯、切り干し太鼓、納豆、白菜ベーコン鍋。

11時、自転車で浦安へ。『上州屋』でルアーを物色する。ここに来たのは一昨年の11月以来だ。1年3ヶ月の間にルアーの知識は大分増えた。以前来た時は、何だかよくわからず、ブルーブルーのジョルティを買った記憶がある。いや、別のワームだったかもしれない。

フィール150、エリア10の黒、コアマンアルカリ83、小さめのスナップを買った。エリア10は中古で買ったのを一つ持っているが、色や、ウエイトの戻りの感じがどうも良くないような気がするので、欲しいカラーの新品を買った。新品でも安いので、中古をわざわざ買うことはないのだ。

東葛西のワークマンに寄る。今週末の予定用に防寒装備を買おうと思ったのだが、すでに品揃えはスプリング仕様になっていた。結局何も買わず。

ワイズマートで、中華三昧の塩ともやしを買って帰宅。

昼飯にもやしそばを作って食べる。昨日作った白菜鍋の残りを入れた。

2時半、走りに行く。

旧中川が釣り場に適しているのかどうかを自分の目で確かめるのを目的にした。そういう目的がないとなかなか走ろうという気がしなくなっている。

葛西橋を渡り、荒川沿いの道を北上した。ロックゲートから公園に入り、旧中川の左岸沿いに走る。

旧中川は想像していたよりも川幅が狭かった。川沿いは整備された緑道になっていた。8名乗りボートが二艘、上流に向かって漕いでいた。大学のボート部が練習しているのかと思った。

途中、旧中川の水位について解説した看板があった。高度経済成長期に起きた地盤沈下で、旧中川沿いの江東区は地表面が最大4メートルも低くなった。その後、旧中川が荒川につながった水門を閉じ、小名木川に扇橋閘門を設置することで、旧中川や小名木川の水位を低くしていた。現在は旧中川の下流にも荒川ロックゲートができ、船舶の行き来ができるようになっている。つまり昔の旧中川は船が通れなかったのだ。

とにかく、旧中川の入口出口がそんな感じでは、シーバスが自由に海と川を行き来するわけにはいくまい。また、川沿いに釣り人の数は少なかった。ハゼ釣りシーズンになると増えるようだが。

というわけで、釣り場見学はそこで切り上げ、首都高の手前で旧中川から離れ、荒川に向かった。

集合住宅の間を走る。そのあたりは高校時代の下校時に自転車でよく通った。当時は工場の跡地と空き地が広がる、広大な再開発区域だった。首都高近くはかつての商店街の名残をわずかに留めており、ぼろぼろのパチンコ屋、自転車屋、本屋があった。自転車屋はパンク修理を何回かしてもらった。本屋ではたまに雑誌を買った。

令和5年現在、それらの面影はまったくない。

本屋と自転車屋があった区画が、たぶん今の小松川二中の敷地になっている。荒川沿いの道も変わった。というより、首都高より南側の小松川地区は、地区全体が満遍なく盛り土されて、別の町になってしまった。

そこまで走ったら、ついでに母校を覗いていこうという気になった。で、荒川沿いを北上し、小松川高校まで走った。

首都高の北側は再開発区域ではなかったため、見覚えのある町並みが残っていた。小松川橋の下を通り抜け、土手沿いをしばらく進んで、高校の敷地の角を左に曲がる。うわっ、その角を曲がったのは、もしかすると高校を卒業した年以来かもしれない。

オレは旧校舎時代最後の入学生で、二年の時に現在の新校舎に移った。月日は流れ、今やその新校舎もおんぼろになり果てている。お互い年とったな。能代のイオンを思い出すぜ。

正門向かいのグラウンドには、ボート部の活躍を称える幕が張ってあった。ボート部? さっき旧中川で見たボートがそれだったのだろうか? 違うとしても、目と鼻の先に旧中川があるのだから、練習に最適な環境だということはわかる。オレの時代の旧中川なんか、時々産業廃棄物が検出されてニュースになるような、細長いクリークにたまった公害汁だった。うらやましいことだ。

正門斜め前にあったパン屋は自販機のみが置かれ、店の看板は塗りつぶされていた。購買部のある松葉会館はまだあった。現在も中に購買部があるのかは不明。旧校舎時代には昼休みによく行き、アイスなど食べたりしていた。新校舎になってからはほとんど行かなくなった。購買部がなくなったからだったのか、そのあたりの記憶は曖昧だ。

敷地沿いを走り、お寺の前を通り、路地に入る。その路地は旧校舎時代、教室の真裏に位置していた。新校舎になってからはまったく通らなくなっていた。

荒川土手に戻り、小松川橋へ。橋の下に自転車を止めたら学校に連絡され、呼び出しを食らったことがあった。なんで止めたかというと、自転車を盗まれて、駐輪場シールがなくなってしまったからだった。その後、シールは再発行してもらったんだったか? でも、元通り学校の駐輪場を使うようにはなったはずだ。

小松川橋を渡り中土手へ降りた。そこから首都高の真下を走った。

途中、江戸川競艇の向かいを走った。中川沿いからだと競艇は見られないようになっているのだが、中土手からはよく見えた。レースが行われていたので少し見物した。

葛西橋で中土手から上がり、来たコースを逆に走って、4時過ぎに実家帰宅。走行距離は13キロ半だった。

風呂に入り、ネックウォーマー、グローブその他をリュックに詰め、6時半に実家を出た。

駅に向かう途中、地域猫がいたので、しゃがんで手招きすると、寄ってきてすりすりをしたので、しばらく撫でた。

ハンナ・アーレント『エルサレムのアイヒマン』読み始める。

オオゼキで、小籠包、餃子、電氣ブランサワーその他アルコールを買い、8時過ぎ帰宅。

『金八先生』Part2 の「卒業式前の暴力」後編を見た。録画してある映像。

中島みゆき「世情」が流れ、スローモーションで加藤たちが逮捕されるシーンを見る。条件反射のように涙が出る。

同時に、先々週見た『初級革命講座飛龍伝』を思い出した。金八のこのシーンは、学生運動を連想させる。

生徒達の処遇を決める場面は、『12人の怒れる男たち』そのものだ。

荒谷二中に乗り込んで警官たちを指揮し、生徒達を一網打尽にする刑事役を演じているのは、松山輝夫さん。俳優として文句のつけようのない、見事な仕事をしている。悪役なのだが、役なりの信念があるように演じている。ただイヤな人間を演じているのではない。

赤木春恵さんが、元教え子の刑事に、「あなたはどうだったの?」と問いかける寸前の表情がいい。ゾクゾクする。

会議場面は、長回しで一気に撮ったのではないか? 稽古も相当しただろう。この場面の後、金八が加藤と松浦をビンタする場面も、熱が冷める前に続けて撮ったんじゃないだろうか? 有名な台詞トチリがあるけど、そんなことは気にならない。

12時過ぎ就寝。