そうだ。手塚治虫だ。
大学受験の頃、参考書を買うために神保町の三省堂に行って、参考書そっちのけで手塚漫画を渉猟していた18才のオレ。
逃避ではなく、自分に必要な何かを求めるために、あの頃は神保町を徘徊していた。
昨日は一応晴れていたが今日は曇りで、そのことを走らない理由づけにする自分に苛立ち、苛立つ自分に諦め、午後を迎えた。
苛立ちの果てにある諦めほどタチの悪いものはないが、考えようによってはそれは「底」なのだとも思える。
あとは上がっていくしかない。
ゼロをキープする方が難しい。
午後、ブログを更新し、平行してDVDの録画映像をPCに保存した。
思いたってCMOSクリアをして、再びGTX970をつけたら、今度は普通に画面が映った。
が、ゲームをせず、性能をはかるべくPremierを起動してみたが、エフェクトを使った編集をほとんどしないためか、体感的にもほとんど変化を感じなかった。
持ってて意味あるか?
夕方、ブックオフへ。
高橋留美子の短編集。
萩尾望都『トーマの心臓』
清水邦夫戯曲集。
購入。
帰りにいなげやで買い物。
(オレはこんなことしてる場合じゃない)
脈絡なく、そんな言葉がうかんだ。
買い物が「こんなこと」という意味ではない。
帰宅し、えびフライ作る。
卵液が余ったので、冷凍していたハンバーグをメンチカツにした。
えびフライを作る時、片栗粉と塩で揉み、水気をしっかり切ったので、生臭さは皆無だった。
オレに足りなかったのはそういう丁寧さだ。
メンチカツはついでに作ったのだが、自賛をはばかり得ない旨さだった。
こんなに旨い食いもんだったのか、と思った。
食べ終わってから、明日の弁当用にエビチリ作る。
豆板醤、中華スープ、塩胡椒、ケチャップ、長ネギ、ニンニク、生姜。
レシピは10年以上前にメモったもの。
2004年頃、「ファミリーアフェア」という芝居を書いていた時に、アイディアノート用に買った小さいメモ用紙があり、それがいつの間にかレシピのメモ帳になっていた。
まだクックパッドがなかった頃だ。
中華料理のレシピがやたらに多く、途中からケーキとかのレシピが加わる。
2007年頃、やたらにケーキを作っていたからだ。
昨年末頃、
(自炊をすっかりしなくなったなあ)
と思っていたのに、ここ二、三週間ですっかり復活している。
そこに自分の意志が、ないような気がしている。
あるんだろうけど、左脳によるものではなく、右脳の発する欲求に、左脳が不承不承従っているような感じがする。