22才との再会

7時20分起き。
ソフトサラミのサンドイッチを食べる。

8時40分から仕事。

セキュリティの問題で、仕事で使うPCのファイル保存場所の融通が利かなくなってきている。
生産性はがた落ちだ。
敗戦直前の日本軍みたいな指示だ。
B29が来るから竹やりの訓練をしろ、ということだ。

たぶん戦争中も、
「おかしい」
と感じた人はいたはずだが、それでも多くの人が自ら従った。

仕事、黙々と改修工事続ける。
今ではなく、何ヶ月か後になって役に立つ予感がしてきた。

昼、茶碗蒸しときつねうどん。

午後も黙々と同じ作業。
定時にあがる。

下北沢にて稽古。
6時半過ぎから通し。
気持ちがぶれていて、前半がダメだった。
喉はなんとかもっている。
ケアは欠かせない。

ダメ出しのあと、9時から自主練。
1幕を返す。
通しの時よりも落ち着いてできたが、それじゃ当たり前だ。
9時半終了。

帰りに飲む。
男性陣が全員いた。

新田くん、有賀くんに、今回の役について聞かれる。
荒ぶる芝居をするのは13年ぶりだと答えると、
「いつもそういう役をやっているのかと思った」
と言われた。

20代の前半から30代にかけて、今やっているような演技がしたくてしょうがなかった。
だが与えられる役は正反対なものが多かった。
たまにそういう役をもらうと、気合いが入りすぎて自滅した。
ひどい時は声をつぶして、舞台を台無しにした。

で、今はどうかというと、怒り狂う役をことさらやりたいという気持ちはない。
やりたくないというのではなく、若い時みたいにそういう演技がしたいという渇望に動かされている感覚がない。
今の自分を22才の自分に見せたら、羨ましがるだろう。

「だがなあ22才くん。今お前がこの役をもらったとしても、たぶんできないと思うぞ。きっと気合いと気負いで喉をつぶして、わけのわからない憎しみと、悲しみに似た罪悪感に苛まれて、すりへってしまうだろう。なぜわかるかというと、オレはお前だったからだ。で、今のオレはすでにお前じゃなくて、死んだり生きたりを繰り返した、おそらく別の人間なんだ。それは成長かもしれないし、あるいは変節かもしれない。今オレが不思議に思っているのは、22才くん、お前があれほどやりたがっていたような役を、なぜ今やることになったのかということだ。『十二人の怒れる男たち』という戯曲をやりたいと思って、その中に入りたいと思っただけで、どの役がいいとか、そういう希望は出さずに参加した。与えられた役に取り組み、稽古をしていく過程で自然にこうなっていき、気がつくと目の前に見覚えのある奴が立っていた。お前だよ22才くん。ペンキのついたジャージ姿で、背中丸めてこっちを見てたよ。まさか、舞台に客演してお前に会えるとは思ってなかった」

12時前に店を出る。
下北から家までは自転車で20分ちょっとだった。

3時就寝。