6時起き。
ゆかりをかけたご飯を朝飯に食べ、ウェアやシューズの支度をして、40分に家を出る。
新宿から埼京線で浮間舟渡へ。
ホームはマラソン参加者でごった返していた。
バスには乗らず、線路の西側を歩いて荒川土手へ。
河川敷に降り、川に近いところの空いたスペースで着替えを済ませる。
トイレに並んでいると、開会式をやっているところから、ブラスバンドの演奏が聞こえてきた。
曲は「宇宙戦艦ヤマト」だった。
初めてこの大会に出た時もその曲だった。
9時の号砲からおよそ5分後にゲートをくぐった。
しばらくは流れに逆らわず、全体のペースに合わせて走る。
10キロ地点までは、ごく普通のベースだった。
キロ5分前後。
早過ぎもせず、遅すぎもしない。
やがて、14キロ地点を過ぎた頃だろうか。
3分の1が過ぎたと思ってから、16キロ地点までのおよそ2キロを走るうちに、頭の中がぼうっとしてきた。
体調が悪いというより、気だるい感覚が、そのあたりでやってきたのだった。
16キロを過ぎてから、両腿が張ってきた。
同時に、朦朧とした状態は脱したものの、走る速度ががくんと落ちた。
へたっていることを自覚した。
いつも30キロ地点前後にやってくる感覚だった。
そこからゴールまでを、地獄時間と呼んでいる。
レース前に走り込むのは、地獄がやってくるポイントが、極力ゴール近くになるようにするためなのだ。
2008年3月 25キロ
2009年3月 32キロ
2010年10月 35キロ
2012年3月 なし
2013年4月 28キロ
2014年11月 30キロ
2015年12月 32キロ
過去の地獄時間は、大体そのあたりで始まった。
ベストタイムを出した2012年は、最後まで地獄がなく、ラストスパートさえできた。
今回は、16キロ地点を過ぎたあたりで地獄がやって来たのだ。
残り26キロ。
これはダメだ。
救護所に入ってリタイアしようと思った。
そう思いながら17キロ、18キロ、19キロと走るうちに、折り返し点が近づいてきた。
ペースはキロ6分台に落ち込んでいたが、14キロ地点までのアドバンテージがあったので、片道は2時間をわずかに切ることができた。
しかし後半そのタイムで走るのは到底無理だった。
22キロから1キロごとにペースは落ちていき、26キロ地点で両腿がカチカチに固まってしまった。
足が前に出せなかった。
急遽、土手の芝生で仰向けになり、両腿をストレッチした。
しゃがむのが辛かったし、腿を伸ばす時に激痛が走ったが、何とかその先も前に進むことができた。
30キロを過ぎると、足の裏が痛くなってきた。
筋肉が疲労し、脹ら脛がクッションの役割を果たせなくなってきたのだ。
ここから先は、1キロ走っては腿のストレッチをする繰り返しだった。
4時間44分でゴール。
ワースト記録だ。
今まで走ったレースの中で、もっとも肉体的に苦痛を味わった。
それでも、棄権しないで走れたのは嬉しかった。
以前は37キロ地点を過ぎたあたりにあった「シャーベットステーション」が、ゴール後の場所に変更されていた。
いつも素通りしていたのだが、ゆっくり食べられるこっちの方がいい。
2時過ぎに、着替えて会場を後にした。
歩くのが辛かった。
駅までの送迎バスを、今回初めて利用した。
バスを降りてから「王将」へ行き、麻婆豆腐と餃子を食べ、生ビールを飲んだ。
板橋に出る時の恒例だ。
5時前帰宅。
風呂に入り、コンビニへ。
同じブロックの裏にあるというのに、歩くのがしんどかった。
今回の敗因が走り込み不足であることは明らかだ。
一回あたりの距離をいくら長くしたといっても、4回は少なすぎた。
それに伴い、体重も増えていた。
ここ3日はレースのため多めに食べたのだが、それによる体重増を筋肉がまかないきれず、筋肉の疲労を早めたのだろう。
加えて、シューズは9月のものをそのまま使っていた。
軽いが、その分クッション性は薄いものだった。
朝のランニングを習慣化していた去年の9月の時点なら良かったが、今回はもっとクッション性のあるものにするべきだった。
しかし、とにかく走った。
3年前、つくばマラソンを走った時は、悔しさがあったが、今回はむしろ負けて清々しい。