4時過ぎに新宿駅のシャッターがあいた。総武線のホームへ。始発に乗り、浜松町からモノレールで羽田空港へ。ANAのカウンターで荷物を預け、6時45分発宮崎行きの搭乗ゲートへ。視界不良のため、鹿児島か福岡に振り替えになるかもしれなかった。台風のせいだ。
台風20号はまだ四国の南方海上にあった。上陸するとしたら今日の午後だった。6時45分の便ならギリギリ間に合うはずだったが、雲はどうしようもない。
新宿で時間をつぶしたのは、うちから始発で羽田に行くと空港に着くのがかなりギリギリの時間になるからだった。台風のこともあるし、何が起きても対応できるように早めに空港入りしておきたかったのだ。
6時45分、宮崎行きの便に乗り羽田を発った。たぶん大丈夫だろうという予感はあった。到着は8時過ぎだったし、その時間に視界不良ということは考えにくかった。
果たして、宮崎に近づくと、何ごともなかったかのように着陸体制に入った。天気は曇りだったが、視界不良ではない。雨も降っていなかった。
空港から宮崎駅へ電車で移動し、駅前のオリックスレンタカーで軽を借りた。台風が来ていなかったら高千穂峡に行く予定だったが、生憎降雨確率が80パーセントだったのでプランBを実行。逆方向の鹿児島を目指した。
途中、県境あたりはかなり激しく雨が降っていたが、鹿児島県内に入ると晴れてきた。1時間半ほど運転し、一休みするために桜島サービスエリアに入った。外に出るとむわっとした。まぎれもない真夏がそこにあった。
お昼過ぎに鹿児島市内に着いた。鹿児島中央駅近くで昼食を食べようと思ったが、駐車場がなかなか見つからなかった。運良く駅近くの道沿いに広めのパーキングがあったのですかさず止めた。
アーケード商店街にある「桜勘」という店で、かんぱちの漬け丼定食を食べた。安くてメニューも豊富な海鮮定食屋だった。
鹿児島中央駅は昔の「西鹿児島」だ。九州新幹線開業で改名したらしい。駅はとてつもなく大きく見えた。観覧車まであった。なぜか日暮里駅に似てると思った。日暮里駅に上野と秋葉原と東京と新宿駅の機能を詰め込んで、縮尺比を変えずに大きくしたら、鹿児島中央駅みたいになるかなと思った。
市電が走っていた。バスも走っていた。風景としてとても良かった。
駐車場に戻りドアをあけると、車内がシャレにならないほど暑くなっていた。サービスエリアで買ったお土産が心配になるほどだった。クーラーを全開にし、桜島連絡船の乗り場に向かった。
乗り場を見つけるのに30分くらい手間取った。着いたのは2時だった。車両ごと乗った。船の中に立ち食いうどんのカウンターがあった。名物らしいのでかけうどんを一杯食べた。ふやけた感じの麺だった。汁は薄味で美味しかった。
桜島は山頂が雲に覆われていて、噴煙はまったく見えなかった。展望所まで上がればもっとよく見えるだろうと思った。そこで一番山頂に近い湯之平展望所に上ることにした。
車でかなり上がった。道に火山灰が積もっているのがはっきりとわかるようになってきた。展望所には観光バスと数台の乗用車が止まっていた。
雲が晴れてきて、桜島の全貌が見える瞬間があった。しかし噴煙は出ていなかった。いつも出ているというわけではないのだろうか。
3時を過ぎていた。宮崎へ戻る時間もあるので、来た時とは違うルートで宮崎に戻ることにした。
カーナビに一番距離が短いルートをセットして運転すると、途中で細い山道に入り延々と山を上りだしたのには参った。一車線しかないような道を同じパターンでぐるぐる回って上っていくのだ。車をこすらないように神経を使った。
山を越え、なんとか県道といえるレベルの道に入ったが、行きとは違い高速道路を使っていなかったので、4時半になっても宮崎に近づいている感じがしなかった。運転にも倦んできたので「道の駅すえよし」で休憩をとった。
都城市内で渋滞に見舞われた。なぜ渋滞しているのか原因がよくわからなかった。右車線が右折専用だったり走行車線だったりとまちまちで、町に不慣れなドライバーが左車線に集中してしまうからではないだろうか。実際、市内は妙に走りにくかった。スピード違反も起きにくくなるだろうが。
その後宮崎自動車道に入ると、途中でまた雨、しかも豪雨に見舞われた。疲れていたので80キロ以上は出さなかった。
6時半に宮崎市内に着いた。ガソリンを入れ車を無事返却し、ホテルを地図で調べチェックインする。
部屋は思ったより広くてきれいだった。シャワーを浴びて旅塵を落とし、食事をするために外に出た。
ホテルと駅の間にある「わるん」という店に入った。食事も飲みもできる店だったが、食事に徹するつもりだったので、メインにチキン南蛮と茄子のコロッケを選び、ライスとスープとサラダをつけたセットにしてもらった。チキン南蛮は、さすが本場宮崎の店という感じで、タレの甘酸っぱさがしっかり効いていた。タルタルソースも美味だった。茄子のコロッケは、コロッケの具材となる挽肉と玉ねぎを、茄子を衣にして揚げたものだった。揚がった茄子がジューシーで美味しかったし、タルタルソースをつけても美味しかった。客は、自分の他に、地元の推定二十代半ば男女職場つながり6人グループがいた。女の子の話し方が、昔とんねるずの貴さんがコントで「貴代さん」を演じる時のイントネーションのままだったのが嬉しかった。
金を払い、マスターに「茄子のコロッケが美味しかったです」と伝えて店を出る。
ホテルには帰らず、駅から離れる方向に歩いた。大通りを渡るとアーケード商店街がある。そこを進んだ。歌舞伎町に屋根をつけたような商店街で、途中、キャバクラ風のお店のドアが観音開きに開いて、そこへ仕事終わりのサラリーマンが10人ほどぞろぞろと入っていくのを見た。全然悪い気がしなかった。落語の吉原みたいだと思った。
商店街が切れるまで歩き、古い店や気になる店の構えを写真に撮った。それから、本来の目的であるお店に向かった。商店街の途中で左に折れたところにあるビルの一階。
FACEBOOKで名前は以前から知っていた。何軒かのスナックが入っているビルのひと部屋。
さてどうしようか。様子を見ようにも、店内は外からは見えなかった。
だが、あけて殺されるわけでなし。せっかく宮崎に来たのに怖じ気づいて帰るなんて馬鹿らしすぎる。
ドアをあけた。
伊織姉さんがカウンターに座っていた。目が合った。
「ちょっとお」姉さんが言った。「何年ぶり?」
「いいですか?」
「いやー、びっくりしたあ!鹿児島来てるのは知ってたんだけど」
昼にInstagramにアップした、鹿児島中央駅の写真を見ていたらしい。
バイク便時代にお世話になった伊織姉さんが千葉の外房に引っ越し、そのあと震災が起きて宮崎に移住したのはFACEBOOKで知っていた。
初めのうちは海辺で自給自足の暮らしをしていたが、色々あってワインバーをはじめ、開店から五年経った現在、繁盛し、宮崎市内の、気の利いた連中のたまり場みたいになっているらしい。店の名は「Bioバル」
連絡はしていなかった。台風が近づいていて、ちゃんと宮崎に行けるかどうかわからなかった。だからアポなし訪問をして会えなかったら、飲んでからさりげなく伝言でも残しておこうと思っていた。だが、運がいい。鹿児島の写真アップで伏線も張られていた。いい感じに再会を果たすことができた。
お店は、元々スナックだったテナントの内装を変え、カウンターだけそのままにし、壁を赤と黒を基調に塗り直し、ボトルを配置していた。東京のこういうお店と違って広さにゆとりがあり、カウンターと背後の壁の間に棚を置いてあるのに、ゆうに人が通れるほどのスペースがあった。
ビーフジャーキーと、それに合う赤ワインを飲んだ。ワインにはまったく詳しくないので銘柄はわからなかった。飲みやすかった。美味しかった。ナチュラルワインしか置いていないのだという。
店は伊織さんの他に二人女の子がついていた。三人体制だった。お客さんかやって来てカウンターはすぐに埋まった。「今日は少ない方」とお店の女の子が言った。
お店のあるその辺りの繁華街は面白いですね、というと、伊織さん達から「そうでしょう」と強く言われた。実際、面白いと思った。商店街と歓楽街がごっちゃになって猥雑さの魅力を放射している。「ここに来ると、誰かがいるんです」と女の子が言った。
姉さんはひっきりなしに入れ替わるお客さんや常連さんの相手をしていた。お店の女の子と色々話した。なんでもこの店と別の店を数年前にはじめたらしい。肉料理の店で、ホリエモンも来店し「うまいに決まっている」とコメントを残したとか。
「宮崎来た時に住んだところは海辺で、完全自給自足だったの。家に帰るとご近所さんが、畑でとった野菜を玄関に置いてくれてね。米は自分で作ってた。あとは、海の魚がいたし、鶏もいたしね」
そうした生活から始めたことで、食について思うところができていったのだという。
カウンターで何度も「うんうん」とうなづきながら、赤ワインを4杯飲んだ。「純良過ぎて絶対体に残らないから」と言われた。そういう予感のする酔い方だった。
10時半にお店を出た。居心地が良かった。
最近「そこに行けば誰かがいるようなお店」について考えてきたが、「Bioばる」はまさにそういうお店だった。東京にあったら通ってしまうだろうと思ったが、宮崎で一から作りあげたからこそできた「そんなお店」なのだとも思った。頻繁には無理だが、またぜひ行きたい。
ホテルに戻り、JR九州のサイトで朝一番の特急券を予約した。6時前に出発し、大分県の佐伯に8時過ぎに着く。明日は、12時に出航するフェリーで佐伯から四国の宿毛に渡るつもりだった。しかし、台風のため宿毛フェリーは欠航しているようだった。明日になれば運転再開しているかもしれないので、とにかく行くだけ行ってみようと思った。12時のフェリーが欠航したままだったらもう少し北に移動し、臼杵から出港しているフェリーで愛媛の八幡浜市に渡る手がある。そちらの宇和島運輸フェリーは明日の朝から運行再開しているようだった。渡ってからの交通手段に不安はあるが、まず佐伯に行ってみないことにはわからない。目覚ましを4時半にセットして眠った。