4時に起きた。目覚ましが30分早く鳴っていた。枕元から離してスマホを置いていたので、睡眠状態を感知するセンサーがうまく働かなかったのだろう。
おにぎりを食べ、ユニフォームに着替えた。上から私服を着た。トレーニングウェアを持って来ていたが、寒いのではないかと思ったので私服にした。
6時にチェックアウトした。外は暗かった。豊橋行きの電車に乗り、7時過ぎに愛野駅に着いた。3年ぶりに降りた。線路の南側の道が西の方からまっすぐ駅に延びている風景に見覚えがあった。
坂道をのぼり、スタジアムの手前にある建物に入り、参加賞のTシャツをもらった。
スタンド席に荷物を置き、私服を脱いで、上からトレーニングウェアを着た。フォームローラーでふくらはぎと腿の筋膜リリースをして、荷物を預ける。荷物係を高校生たちがやっていた。
集合時間まで30分ほどあったので、席に座ってボーッとしていた。寒かったので、外に出るとトイレが近くなるだろうと思った。水分補給は朝にオレンジジュースを飲んだだけだったが、汗をかく季節でもないし、吸水ポイントでまめに補給すれば何とかなるだろう。
集合10分前になってから、トレーニングウェアを脱ぎ、スタジアムに向かった。寒かった。メッシュのユニフォームを通して、冷たい風が肌に直に当たる感じがした。
集合地点はスタジアムが風よけになっていたのでそれほど寒くなかった。
スタート時間が迫り、ランナーの列がスタジアムのトラックに入った。「スタート30秒前」のアナウンスが響き、10秒後に号砲がなり、早っ、と思った。前来た時もそうだった。
スタジアムを出て西に向かった。アップダウンが続いた。走り初めはコースが混んでいたので、全体と同じペースで走ったが、次第に空いてきたので、自分のペースで走ろうと思った。
体が重く感じた。スタートした時はそうでもなかったのだが、ペースを上げようとすると重くなった。
5キロ地点の標識を見た時、マラソン用ではなく普段使われている立て札だろうと思った。もっと長く走っているはずだ。ところが、その後も6キロ7キロと道沿いに立てられていたので、やはりマラソン用に立てられたのだと思った。同時に、まだそれしか走ってないのかと思った。
道路標識に「横須賀」と書いてあった。まさか神奈川の横須賀じゃないだろう。
10キロ地点で時計を見ると、スタートから58分が経過していた。げげっ。遅い。この時点で、今回は厳しいレースになるだろうと思った。
平地に下り、畑の間を走った。風が真横や正面から吹いてくると寒く感じたが、耐えられないほどではなかった。
そのあたりでトイレに入った。並んでいたので3分ほどロスしたが、筋肉にとってほどよい小休止になったようで、その後はややペースが上がった。
JRの線路を陸橋で渡り、コースの北側区域に移る。しばらくアップダウンはなく、平坦な道が続いた。
21キロちょっとの中間点で時計を見た。2時間4分だった。10キロ地点が58分だったから、11キロを1時間4分ほどで走ったことになる。ペースは1キロ6分弱だった。
両腿が張ってきていた。先週と先々週に長い距離を走った時よりも、張り始めるのが早かった。
全体の3分の2である28キロ地点を2時間48分で通過した。折り返し点からの7キロを走るのに44分かかったのだ。1キロ6分よりペースが遅くなっていた。
そこで5年前の彩湖マラソンを思い出した。一周4.6キロの周回コースを9周走ったのだが、4周目から6周目が一番苦しかった。7周目からはあと少しだと思って元気が出て、ペースが上がった。
28キロ地点は、その7周目に入るのと同じだ。33キロ地点と34キロ地点の間が8周目開始、38キロ地点が9周目。そう思って走れば、楽になるだろうと思って走った。
楽にはならなかった。
給水ポイントに差し掛かるたびに、腿にスプレーをし、ドリンクを飲み、バナナやまんじゅうを食べ、ストレッチを少しした。
荷物預かりもそうだったが、給水ポイントも高校生たちが手伝っていた。みんな元気で、そして、間近で見るととても幼く見えた。もしかしたら中学生だったのかもしれない。
38キロ地点に最後の給水ポイントがあった。その手前でセーラームーンの格好をしたランナーに追い抜かれた。顔は見られなかったが、背格好から判断して男だったと思う。ボランティアの高校生たちが大盛り上がりで声援を送っているのが見えた。
気がつくとゴールが近くなっていた。朝見た、JRの線路沿いに愛野駅に向かう道だった。3年前は緩い上り坂を走ったように記憶しているが、ほぼ平地だった。
愛野駅からエコパスタジアムに向かって1キロちょっとの上り坂が続いた。ここが一番きつかった。走行距離は40キロを過ぎ、あとはスタジアムを迂回するだけだった。歩いているランナーが多かったが、止まらずに走った。
坂を上りきり、緩い下りになった時、沿道の人が「あとは坂下るだけ」と声援をくれた。残った力でラストスパートをかけた。思ったよりも力が残っていて、ランナーを何人か追い抜いた。
4時間17分でゴールした。
4時間切りは今回も果たせなかった。そして、順位が1位違いで、キリのいい順位ごとにもらえる商品のメロンをもらい損ねた。ラストスパートをかけるタイミングがもう少し早ければと思ったが、その時点では順位などわからないからどうしようもない。
控え所へ着替えを取りに行き、スタジアムに戻ってシャワーを浴びた。隣で着替えているランナーが、足を曲げるたびに「あいてて」と言っていた。
タイムは納得のいかないものだったが、歩かずに完走したことは良かった。反省点はこれからいくらでも出てくるだろう。
静岡駅へ戻り、セノバ新静岡の「さわやか」で、げんこつハンバーグを食べた。袋井クラウンメロンマラソンに参加する価値は、これを食べに来られることにもあると思った。
高校生たちのことを思い出した。近所の高校のボランティアなのだろうか。屈託のない笑顔でドリンクやまんじゅうやバナナやみかんを差し出してくれる姿がまぶしかった。
そもそもオレは昔から、沿道の声援に眉一つ動かさない男だった。ハイジと出会う前の、ヤギにしか心を開かないアルムじいさんみたいに、容易に人を信じない冷え切った心の持ち主だった。
そんなオレが、ラスクを差し出してくれた高校生に笑顔を向けて、「ありがとう」と言うなんてな…
たとえ向こうには、塩まみれのおっさんが三白眼で、「お前の生き肝食ってやる」と掠れ声でつぶやいてるように見えたとしても、おじさまなりに感動していたのだよ。
現物支給でもいいから、ボーイズアンドガールズに何らかのお礼が支払われていて欲しい。もし「ユーたちこれで帰りになんか好きなの食っちゃいなよ募金」なんて箱が置いてあったら、5000円くらい払ったよ。
ありがどうハイスクールの面々たち。生き肝くれよ。
帰りの新幹線まで2時間ほどあった。南口のおでん屋「海坊主」を覗いたが、腹が一杯だったので何も買わなかった。
駅ビルの成城石井で、生き肝に最も近そうな静岡みやげ、黒はんぺんを買った。ホームのベンチで電車を待ち、乗る時間近くになってからkioskでレモンサワーを買った。
帰りの車中、『戦争と平和』4巻を読んだ。
ピエールがニコライの屋敷にやってきて、ニコライやデニーソフと議論し、それぞれの夫婦の様子が描写される。アンドレイ公爵の遺児ニコーレンカが眠れぬ夜を過ごすところで、本編は終了。あとは、トルストイによる歴史哲学が語られ、全体が終了。
9時過ぎ帰宅。両腿は張っていたが、歩くのに問題はなかった。
過去のタイムを、この陰々滅々ブログで調べた。すると、今回の成績は2014年のつくばマラソンのタイムよりも劣っていることがわかった。自己ワースト2位ということだ。
折り返し点で1時間50分を切るか、50分台の前半である時は、調子が良く、それほどペースを落とさずに30キロまで走ることができる。すると30キロ地点で4時間切りのアドバンテージが10分以上たまっている。そこから先の12キロは、この10分を使い切ることなく走れば、4時間を切ることができる。
調子が悪い時は、10キロ地点で50分台前半を維持できていない。スタート地点の混雑具合も関係してくるが、今回のように58分かかっていると、やばい。
しかし、結論は、今のままでは4時間切りができないということだ。
完走できたのは、嬉しい。しかし、次回は真剣に、自己ベストを出すという目的と、気合いを持って臨まないと、ダメになってしまうような気がする。
間を置かずに、熱が冷めないうちに、飛びかかって、組み伏せて、ものにしたい。