戦争と作品の前の自由意志

朝、レトルトのエチオピアカレーを食べた。ご飯多め。結構辛かった。

10時を過ぎてから荷造りをした。先週買ったフォームローラーをリュックに入れると、他の荷物が入らなかったので、シューズと一緒に別の袋に入れた。荷物の総量はキャリーカートほどはなく、リュックに入りきるほど少なくもなかった。中間の量を詰められるバッグは、普段使いだと大きすぎる。難しいものだ。

東京駅へ。八重洲地下街で昼飯を食べようと思ったが、腹が減っていなかったので、ただブラブラし、良さそうなパスタ屋を確認した。大丸のデパ地下で穴子寿司の高菜巻きを買った。

2時前のこだまに乗り、寿司を食べ、レモンサワーを飲んだ。酒匂川の鉄橋近くで、黒澤明「天国と地獄」の身代金受け渡しシーンと同じショットを撮るため、スマホカメラを起動する。撮れた動画は、小田原側の岸ばかり移していた。犯人は平塚側の岸に駆け寄るので、車窓の左後ろを撮らないといけないのだ。

『戦争と平和』4巻読む。ロシア戦役が終わり、ピエールは他者への愛に溢れる男に変身し、人気者になる。さらにナターシャまでもゲットする。すべて手に入れやがった。
ロフトフ老伯爵は死に、ニコライは退役し、父の財産を相続する。結果、負債も背負う。債権者から逃れるため、官吏となって働き、母、ソーニャと共に借家で暮らす。暮らしは楽でなく、借金は増えていく。そして、お金目当てで結婚するのは卑怯だという意識が、マリアを遠ざける。
マリアはニコライと会い、そのことを理解する。ニコライも、マリアが理解したことを理解する。お金目当てかどうかを除外して良いとわかったら、その思いはどうなのかという、言葉にされない本能的な駆け引きがあり、ニコライは出て行こうとするマリアを呼び止め、二人の思いはつながる。そして結婚。
エピローグ。時は流れ、ニコライとマリアが結婚してから7年後の1820年。
ニコライは領地経営に熱中し、マリアやピエールからの借金も返済し、再び財産を築き始めている。ナターシャは三人の子持ちに。
ニコライの名の日のお祝いに、デニーソフがやってくる。デニーソフは退役将軍で、白髪交じりのおっさんになっており、所帯じみてロシアンおっ母さん化したナターシャを見てガッカリする。
ピエールは首都で用事があり、遅れて到着する。ピエールはニコライの家の人々にも大人気。大人も子供も召使いもみんなピエールが大好き。まるで常勤サンタクロース。
ソーニャもニコライの家で暮らしている。マリアは、夫ニコライとソーニャの過去を知っているので、彼女を愛さなくてはいけないと思いつつ、ついつい邪険に扱ってしまう。
ソーニャ、エピローグで台詞ほぼなし。かわいそすぎる。でも、ドーロホフやデニーソフと結ばれる展開は無理がある。それを言ったら、ニコライとマリアが結婚する展開もそうなのだが、こちらは大団円のラストにするためにはやむを得ない。
ソーニャが犠牲になったのは、人でも因習でもなく、作品に対してなのかもしれない。ソーニャは、ニコライに対して「青春」を、大団円のエピローグに対して「ほろ苦さ」を提供した。戦争の前に人間の自由意志は存在しないように、作品の前に登場人物の自由意志も存在しない。

静岡へ。南口からまっすぐ歩き、静岡ビクトリアホテルにチェックイン。無骨なビジネスホテルだった。

暗くなってから、夕食を食べるために外へ。駅の北口にある「久松」という、昔ながらの中華食堂へ行った。中華丼の大盛りを頼むと、ラーメンの丼で出てきた。でかっ! と思ったが、食べてみると案外ペロッと行けた。

朝食用のおにぎりとオレンジジュースを買ってホテルに戻る。ブログ更新をして、10時半就寝。