導火線に火をつけろ

 夕べは妙な睡眠の仕方をしたので、8時に起きた時、眠いんだか眠くないんだか、腹が減ってるんだか減ってないんだか、わからなかった。
 外に出ると雨の後のため、寒いんだか寒くないんだかわからなかった。
 長袖のシャツを着ても、暑いんだか暑くないんだか、わからない。

 今発売されている『東京人』で、60年代の新宿を特集している。
 唐十郎のインタビュー記事が巻頭を飾っていて、大変面白い。
 当時の新宿東口地図も載っている。

 60年代後半の騒擾に包まれた新宿で表現活動をしていた人を羨ましく思う人は多いが、今そういう空気を作ろうとしたら、騒がしい部分をロマンチックに真似ただけのものになるだろう。
 現在の世の中で、革命への情熱がほとばしる可能性がある場所は、満員電車の中だ。
 ほんのちょっとした事故が、乗客のイライラをものすごく高める。
 もしもガラガラだったら、意外と呑気に待つ人が多いんじゃないか。
 つまり、ある場所に人が大勢集まっていれば、不穏な空気は生まれやすいということだろう。
 だが、人が分散しているから、ついつい各個人がそれぞれ不満をやり過ごしてしまう。
 新宿に集まる人間が単純に2倍に増えれば、重なり合う不満が核融合反応を起こすと思う。

 1960年代の新宿は、西口高層ビル街がまだ浄水場だった関係で、東口に人がぎゅっと集まっていた。
 加えて若者の政治意識の高さ。自民保守路線への不満。古い世代への反発。新しい表現への意欲。価値観転覆の野心。
 様々なイデオロギーが狭い場所に集中し、その結果として一つの時代が生まれた。
 現代の東京は、行ける場所が多すぎる。
 当然、一つの場所に集まる人間の密度は薄まり、エントロピーは減少する。
 客席がまばらにしか埋まっていないコンサートの盛り上がりが良くないように、なにかのムーブメントが生まれる可能性は新宿に限らずどの町でも低くなっている。

 みんなの中に不満は確かにあるのだ。
 おそらく60年代の頃と比べて遜色ないエネルギーを溜め込み、心の奥底で沈潜しているのだ。
 圧力と、導火線と、それに火をつける誰かがいれば、そのエネルギーはここ20年余り停滞している日本の価値観を大きく揺さぶるだろう。
 が、容易なことではそれは起きない。
 なぜなら、導火線の場所が、まだ誰にもわかっていないからだ。
 どこにあるのか導火線?
 もしそれを見つけた時、火をつけることを厭わない程度は、身軽でいたいなと思う。

 夕方、ご飯を作るのが面倒で、ソーセージだけ食べた。
 火曜日あたりから体調が良くない。
 雨続きでジョギングが出来ないためだろうか。

 夜9時過ぎから雨が降り出した。
 ジョギングはなし。
 ぐったりした気分のまま、フォアローゼスの薄い薄い水割りを飲んだ。