ケンシロウがラオウを倒した年

昼、マクドナルドでコーヒーを飲み店を出ると、強風が吹いていた。
風は暖かく、春一番というわけではなさそうだった。
台風並みの強風は鉄道各線の運行を遅らせた。

東西線も荒川鉄橋をゆっくりと渡った。
東陽町で乗ってきた母と娘がいた。
娘は2歳くらいで乳母車に乗っていた。
南砂町まではニコニコしていたのに、荒川が近づき電車が地上に出ると、突然火のついたように泣き出した。
なにかを予感したのだろうか。

電車は強風に横転することなく鉄橋を渡った。

西葛西図書館へ行く。
読みたい本をいくつか見つけたが、貸し出しカードを持っていない。
以前、作ろうとした時に、
「区内在住もしくは勤務の方のみお作りしています」
と言われた。
実家が西葛西でもダメらしい。

夜、実家へ。
豚肉があったので生姜焼きにして食べた。

『北斗の拳』が急に読みたくなり、3時間で全巻読破する。
サウザー編からラオウが死ぬところまでは出色の面白さだ。

中でもラオウとトキが対決する巻は素晴らしい。
涙を流したラオウが、死にゆくトキの運命に怒りの一撃を食らわすところは、全編中屈指の名場面といえるだろう。

『北斗の拳』には、19XX年に地球は核の炎に包まれたという設定がある。
これを仮に1999年としてみよう。
ラオウが死んだ後、ケンシロウが再び姿を見せるのは7年後。
そしてケンシロウはその時点から二十数年前に赤ん坊だったとされている。
ラオウを倒して7年が過ぎたことを考えると、その時点のケンシロウは二十代後半で、ラオウを倒した頃は二十代前半と考えられる。
シェルターにユリアと共に入った頃のケンシロウはすでに成人の体つきだった。
若いとしても18歳以下ということはないだろう。
18歳としておこう。
それらの仮定をつなぎ合わせれば、ラオウが死んだのは2003年前後ということになる。

西暦2003年。
六本木ヒルズがオープン。
阪神タイガースが18年ぶりに優勝。
そしてケンシロウがラオウを倒す。

風呂に入り、こたつでPCに向かい、次回作の構想を練る。
マグネシウムリボンの公演でやるとは限らないし、戯曲ですらないかもしれない。
19歳の時、終電を逃してしまい、実家への道のりを見知らぬフランス人と一緒に歩き、霧の立ちこめる葛西橋を渡ったことがあった。
その時の体験を元に、なにか書けないだろうか。