夕方7時過ぎに池袋の<清龍>へ。
小田竜世さん率いる劇団、FEVER DRAGON NEOの飲み会に顔を出した。
先日のB→Tops本番中飲み会で、るみさんが小田さんと鶴マミを引き合わせてくれた。
その後話が進み、鶴マミの客演が決まった。
女子プロレスラーの方々が役者として出演する芝居だ。
GAEA JAPANのKAORU選手が飲み会の席に普通にいるので、しみじみと驚いてしまった。
一次会では小田さんによる公演の概要が聞けた。
「芸術劇場に戻ってこられた」
という言葉がとても印象的だった。
そして、
「役者かレスラーかと聞かれたら、俺はレスラーだと答えます」
という言葉も。
二次会は<猪木酒場>だった。
小田さんが以前から勧めていた店で、店内には沢山のテレビがあり、おそらく昭和60年頃と思われる猪木と藤波の試合を流していた。
鶴マミと二人、わいわい騒ぐ席とは離れて座ってしまい、妙に寂しかった。
移動すればいいのだけど、座はそこまで動いていなかったし、席と席の間も狭かった。
言葉に詰まり、
「どんな芝居が好きなの?」
という質問を、今更鶴マミにしてしまった。
11時過ぎに辞去する。
鶴マミのサポートなのかお節介なのか、それともただ飲みたいだけなのかよくわからないポジションのまま二次会までいてしまった。
夏から秋にかけては、鶴マミの後方支援をしつつ、自分でもなにかやりたいものだ。
一人芝居のアイディアがぼんやりと浮かんだ。
『ドッペルゲンガーの森』の経験が生かせるかもしれない。
12時帰宅。
先週月曜日の話になるが、古谷実の『わにとかげぎす』が最終回を迎えた。
あっけない終わり方は、『グリーンヒル』を思わせる。
孤独に耐えられなくなったというよりは、孤独というのは耐えられないものだということに気づいた三十男が、友達を作ろうと意識し始める。
彼は、ホームレスの命を助けるために借金を払ったり、馬鹿な部下の命を助けたり、隣の部屋の美人とつき合うことになったり、職場の同僚の孤独癖を治療しようとしたり、結果的には色々なことに巻き込まれてきた。
そしていつの間にか、孤独じゃなくなっていた。
考えてみれば、ストーリー漫画の主人公が孤独のままでは、ストーリーが進行しない。
連載が進むことがすなわち、孤独じゃなくなっていくということであり、そう言う意味ではいつ終わっても不思議じゃない漫画ではあった。
ちなみにここでいう孤独とは、主人公の彼が定義するところの孤独である。
古谷実は、描いていて、
(なーんだ、こいつもう孤独じゃねえじゃん)
とか思ったのだろうか。
ストーリーテリングのテクニックとして、彼を再び孤独にすることはできる。
手塚治虫的な天才ストーリーテラーなら、面白い話にするためにはまよわずそうするだろう。
古谷実にその実力はある。
あるのに、やらない。
あるいは、そういうふうに見える。
少なくとも、読者のために面白い漫画を描くのが自分の義務であるとは思っていそうにない。
だから、連載終了による、
(えー、もう終わっちゃうの?)
という感覚を、読者はこれからの作品からも味わうことだろう。
寸止めのサディズム。
読者がマゾ。
早く次回作品が読みたいなあ。