「ひらやすみ」最終回見た

気温がガクンと低くなった。朝起きると気温が4度以下だ。真冬といってよい。12月でこの寒さは久しぶりに体験する。

9時半から作業。昼休みに走ろうと思ってジャージを着た。しかし、昼になっても走らず。寒くてそんな気がしなかった。

昼飯に焼きうどん、肉まんあんまん。

編み作業を2段だけやる。

午後から夕方にかけて暖かくなっていくということは当然なかったので、6時に作業を終えても走ろうという気は起きぬままだった。しかし、たとえ今日暖かかったとしても、走ったかどうかは疑わしい。東京マラソンまで残り3ヶ月を切ったというのに。

こういう時、自分は真の意味で走ることが好きなわけではないのだと思い知る。好きな人は、走ることそのものがモチベーションであるはずだ。しかし自分は、良いタイムを出してSNSでみんなにイイネされるとか、走るついでに普段は行かない遠くのラーメン屋でラーメンを食べるとか、体重が落ちるとか、そうした報酬がないとなかなか走れないようだ。

夜、走れなかったという挫折感を抱き、読書も編み作業も何もかもせず、10時45分までダラダラと、昔のゲームをして過ごした。

「ひらやすみ」最終回見る。楽しい芋煮会でおしまいだった。4巻のクリスマスが芋煮会になっていた。山形出身だから正しい。実家から届いた荷物に『だし』もあった。細かい。

ドラマが面白かったので原作を大人的に入手して読み返したが、場面の実写化演出がとても優れていたのだなあとあらためて思った。漫画的表現を芝居的表現に換算するのが非常に巧みだった。よもぎさんの猫エピソードで、漫画にはある「死んじゃった?」の台詞を、ドラマではカットしたところや、漫画ではボロ泣きしてたけどドラマのよもぎさんは寸前で止めていたところなどが、特にそうだった。演出に了見が備わっていたのだろうなあ。

ビジュアル的に原作の再現度がもっとも高かったのは、光嶌なづなさんが演じたあかりだったと思う。この人も芝居が良かった。

演出の松本佳奈さんと川和田恵真さんは女性。プロデューサーの大塚安希さんも女性。そして、NHKの人ではない。

最近、「らんま1/2」のアニメがリメイクされたらしい。平成期のアニメを見ていたワケではないが、原作は持っている。

懐かしくなって少し読み返したが、高橋留美子先生のキャラクター造形力に圧倒された。次から次へとよくもまあ考えつくものだ。

高橋留美子作品の中で、もっとも裸がばんばん出てくる作品だったが、平成期のアニメ版でも普通に乳首とか放送していたらしい。

しかし、高橋留美子の描く裸は健康的だ。若くてぴちぴちの肉体を、女性目線で楽しみながら描いている印象がある。それでいて、男読者のごはんが進むようにもなっているところが天才だと思う。

逆にあだち充は、裸を描くことはないが、『読者サービス』と称する場面は、エロの出し方が妙に生々しくてイヤだった。なくてもいいのに、と思っていた。南ちゃんのレオタード姿も、正直、なんとも思わなかった。もちろん、漫画そのものは好きだったが、好きなキャラクターは女じゃなかった。「タッチ」なら、原田くんと柏葉監督だけが好きだった。

らんまというキャラクターは、今さらながら実に魅力的だと思った。猫になってしまい、あかねの膝に乗ってゴロゴロするところなんざ、可愛すぎるだろう。女子読者、たまらんだろうなあ。

高市総理は女性初の総理だが、総理という役も、内閣という仕組みも、それを言えば現代の政治システムはすべて、男が考案してきたものである。ゆえに、そのシステム上にある『政治家』という地位に女性が就いても、本当の意味での女性政治家にはならないのではないか。

原始の村落社会に立ち戻って、そこから女性だけで、あるいは男女の同率参加で、政治システムを作る歴史を積み重ねたら、一体どういう政治形態に進化するのだろう。少なくとも、現在の形からは想像もできないものになっているに違いない。

たとえば、多数決とは政治を運用するテクノロジーの一つである。その機能は、複数意見から最適なものを選択することである。この技術を考案したのもたぶん男だろう。しかし、女性だけの集団も、この技術を発明しただろうか?

2時過ぎ就寝。しかし、スマホ片手にベッドに入りゲームをするという最悪なことをしてしまい、気がつくと時刻が4時になっていた。