ジョン・レノンこそアイルだった

9時過ぎ起き。外がとても静かで、かつ、窓の外がそれほど明るくなかったので、6時くらいかと思った。

10時、ぴあで木村カエラのライブチケットを買おうとしたが、回線混雑でまったくつながらず、2分で売り切れてしまった。2008年のアルバム『+1』の頃のセットリスト再現ライブだったので、絶対行きたかったのだが。

すぐ、チケットリセール系のサイトにアクセスすると、同チケットが29800円で売られていた。さすがに高い。様子見で、10000円前後なら買いたいが、直近にならないと無理だろう。1月末が狙い目か。

昼、お好み焼きを作って食べる。月曜にひと玉買ったキャベツが残りわずかになった。ザワークラウトに仕込む以外でひと玉使い切るのはなかなか難しい。

午後、今月の発表会に向けて、「おおぐま」「りゅう」を練習する。

今年使ったプランターの土を一つにまとめたくて、大きいプランターを買った。それが昨日届いたので、庭にある小さいプランターや、大根や人参を育てるのに使ったペットボトルの土を移した。移すとき、土ふるいを使って、土のきめを細かくした。ケーキを焼くときに小麦粉をふるいにかけるのと同じだ。

ブロック塀沿いの柿の葉が落ち、周囲に落葉が散乱していた。葉を使って腐葉土を作れないか、ネットで調べてみたが、けっこう時間がかかるらしいので、諦めた。

来年は大きなプランターでジャガイモと大豆を育てたいと思っている。大豆は、去年の春に味噌を仕込んだ時、一粒を小さいプランターに植え、それが夏に数十個の大豆になった。その大豆をもっと大きめのプランターに植え直したが、それは途中で虫に食われたりなどしたため、大して増えなかった。それでも、一粒が数十個の豆になった。これを来年育てて、できればまあまあの量を収穫して、そいつで味噌を仕込むのが来年の夢だ。

3時すぎ、サミットで買い物。ほうれん草が98円、豚ロース肉薄切りが98円、長ネギ三本178円に半額シールが貼られていたので、今夜のメニューは自動的に常夜鍋と決まった。他に、しめじ、厚揚げを買う。

ウエルシアで、ビール、タコハイ、納豆、シャウエッセン、ベビーチーズを買う。

夜、常夜鍋を作って食べる。ご飯を炊いたら、秩父で買った米がなくなった。3キロだった。ひと月もたなかった。

ビートルズアンソロジーのDVDを見た。先に 6 を見て、次に 5 を見た。サージェントペパーの頃と、シェアスタジアムからリボルバーの頃。

ビートルズが好きになったのは中二の時で、すぐにジョン・レノンのファンになった。その年齢だと、誰かを好きになった時に、好きという感情に歯止めが効かず、相手を自分の中でどんどん神格化していきがちである。自分だけか?

いったん、そういうふうに好きになってしまうと、大人になっても感情が持続し、信者のようになる。そのため、反動的に、ポール・マッカートニーのことはずっと好きになれなかった。都合のいいことに、ポールの曲はウィングス時代もソロ時代も好きだったのに。

そういう状態が変わったのは、ジョージ・ハリスンが亡くなってからだった。ジョージのソロを集中的に聴くようになり、ジョージを中心にビートルズ史を俯瞰した。そして、ビートルズ解散前後から1973年頃までは、メンバーで一番勢いがあったのはジョージだったことを再確認した。

アルバム『Imagine』のレコーディングは、『All Things Must Pass』をリリースした後のジョージが参加しており、レコーディングの様子を撮影したフィルムが残っている。この映像は、ジョージが死ぬよりずっと前、まだレノン教信者だった頃に見た時は、特になんの感想も抱かなかったが、亡くなった後に見ると、悠々迫らぬ態度のジョージに対し、ジョンは気を使っておちゃらけているように見えた。単なる印象であり、ハリスン贔屓の状態がもたらしたものであろう。しかし、それによってジョン観がすこし揺らいだ。

そして、ジョン観の揺らぎと共に、ポールの見方も変わった。ビートルズ解散から『Band On The Run』大ヒットまで、メンバー離脱を繰り返しても、粘り強く音楽を作り続けたしぶとさと強さに敬服するようになった。自分も、中身はともかく、外見と実年齢はもはや中二じゃなかった。社会人としてビートルズを見ると、ジョンはやはり、不安定な人なのだ。

とはいえ、ジョンが好きであることは変わりなかった。ただ、中二の頃に自分の中に育てた完璧なカリスマ像は消え、色々面倒くさい人だが、予想もしないタイミングで超名曲を作ったりする天才奇人みたいなニュアンスに変わった。この20年、そんな感じだった。

しかし、今日DVDを見て、若きジョンがインタビューに答えたり、ライブでおちゃらけたりしているのを見て、自然と頬がほころんだ。ああ、オレはこの人が大好きなんだなあと思った。ジョンが歌ったり喋ったりふざけたりしているのを見ているだけで、にっこりしたくなる気持ちになった。

DVDの 6 では、「A Day In The Life」のテイク1テープを再生したジョージ・マーティンが、「Sugar Plum Fairy.」とカウントをするジョンの声を聞いたとたん、顔をほころばせていた。その笑みは優しかった。今日の自分も、このジョージ・マーティンと同じように頬をほころばせたわけだ。

つまり、自分にとって、ジョンはアイドルなのだ。いい曲を書くから、歌声や態度がかっこいいから、そういう理由なしに、見ただけで好きになれる存在なのだ。中二の時、真っ先にジョンが好きになったのも、たぶんそのせいだったのだ。

初期ビートルズはアイドルとして売れたのはもちろんわかっているが、メンバーの中でもっともアイドル気質を持っていたのはポールだと思っていた。しかし、ポールこそ、先に才能があって、次に愛嬌だったのではないか。ジョンこそまずアイドルで、それなのにすごい曲を書くので、アイドルではなく才能の人なんだと、見ている人はわざわざ思い直しているのではないか。

ジョンこそアイドルだったという考え方は、初めて頭に浮かんだ。でなければ、あんなに不安定で破天荒な人を、いくらいい曲書くからって、みんながこんなに好きなはずはない。

12時半就寝。