延々と夢を見ていた。
脳が夢を見ている状態にある時間と、当人が感じている時間には、差異がある。
邯鄲の夢ということわざもある通りだ。
では、脳が夢を見ている状態が長かったらどうなるのだろう?
それは、夢を見ている当人にどういう影響を及ぼすのだろう?
起きたのは昼の1時過ぎだった。
昨夜寝たのが夜中の2時だったので、12時間近く寝ていたことになる。
寝ている間ずっと夢を見ていたような気がする。
ある女の子が生活のために体を売っていることを知る夢だった。
いつも明るいその子が、
「体しか売れないんだからしょうがないじゃないですか」
と俺に言うのだ。
大変悲しい気持ちになり、かといってその子も救えず、俺はどうすればいいのだろうと、延々と苦しんでいた。
結局夢の中ではなにも解決しなかった。
起きてしばらくは、夢の内容が現実を侵食し、憂鬱な気分が持続した。
昼ごはんを食べている時、不意に夢を見ていたのだということを認識した。
寝る前に『黒澤明大系』を読んだせいかもしれない。
『天国と地獄』の山崎努はラスコーリニコフ的だという記述があり、
(そうだよなそうだよな)
とうなずきながら眠ったため、ソーニャのような人物を夢の中に登場させてしまったのだ。
『罪と罰』のソーニャは、どうしようもない父親がいて、家族を食わせるために自ら娼婦となる。
『戦争と平和』のソーニャは、幼馴染みのニコライと好き合っていたのに、ニコライの家が零落したため、彼がヴォルコンスキイ公爵令嬢マリアと結婚するのを見届ける。
どちらも犠牲的というのが興味深い。
スペルは同じなんだろうか?
『戦争と平和』の第2巻は、もう、本当に素晴らしい。
ビューティフルなシーンが山ほどある。
夢うつつ状態から抜け出し、PCのスイッチを入れる。
Windowsでやりたい作業があったのだ。
ところが昨日Ubuntuをインストールしたせいで、Windowsが起動しなくなってしまった。
MBRを書き換えなければならない。
WindowsのCDから回復コンソールを起動し、FIXBOOTを実行する。
ところが、実行先ドライブがC:\ではなく、D:\になっていた。
おそらく、S-ATAで2台、IDEで1台繋いでいるハードディスクのうち、IDEを1番目のディスクと認識しているせいだろう。
IDEのハードディスクを外し、回復コンソールを再度起動すると、ドライブはC;\に戻っていた。
FIXBOOTを実行し、ウィンドウズ起動を復旧させる。
その後色々調べ、予めUbuntu用MBRの小さいパーティションを作って、再再々度Ubuntuをインストールする。
今度こそうまくデュアルブートできた。
と、思う。
夕方、食材の買い物。
牡蠣はまだ出ていなかった。
冷凍食品の野菜とシーフードを買う。
うちに帰り、それらの冷凍食品で手抜きカレーを作る。
玉ねぎを薄めのコンソメスープで圧力鍋にかけ、とろとろになってから冷凍野菜とシーフードを投入し、火が通ったらルーを溶かすだけ。
日本のカレールーは優秀なので、手抜き具材でも十分うまいカレーができる。
9時過ぎ、走る。
久我山から甲州街道に抜け、ウルトラマン商店街のサミットまで往復。15K。
帰りにエネルゲンを久々に飲む。