串本へ

朝、6時起き。水耕栽培の水補給、植木の水やりと移動、洗い物片付けをし、朝飯にトーストとベーコンエッグを食べる。

「小さな羊飼い」を少し練習し、9時過ぎに家を出る。

10時前、東京駅到着。東海道新幹線乗り場へ行くのに少し迷う。

10時半過ぎのひかりに乗る。キャリーカートにダイビング器材を入れたメッシュバッグを乗せて運んでいたので、いったんバッグを外して網棚にのせてから、窓際の席に座った。隣の席の乗客が、この電車は新大阪行きか聞いてきた。中国の女性だった。そうですよと答えると、笑顔で礼をされた。

『小説イタリア・ルネサンス』3巻読了。ローマに居を移したマルコは、ミケランジェロの創作現場を見学したり、古代ローマの遺跡巡りをしたり、歴史と芸術の都ローマに浸りきり、政治家だけが人生じゃないと思い始め、とうとう、オリンピアに結婚を申し込む。しかし、オリンピアはマルコを最愛の人としていながら、ごく若い頃から別の男とも関係を持っており、子供まで産んでいた。その子供は現在の枢機卿で、マルコがミケランジェロに紹介してもらえたのも、その枢機卿の尽力によるものだった。オリンピアは高級遊女なのだが、非常に聡明で、こういう展開になっても、落語の「三枚起請」みたいなならないところがいい。しかし、ラストは切ない展開となる。

名古屋で近鉄急行に乗りかえ、松阪に向かう。松阪行きに近鉄を使うのは初めてだった。駅のファミマで昼飯におにぎりと味噌カツサンドを買い、車内で食べた。

2時過ぎ、松阪到着。レンタカーで車を借り、串本に向かった。

松阪から串本まで、車でどのくらいかかるのかわからなかった。以前はあちこちに寄り道しながら二日かけて移動したので、一気に向かった場合どのくらいかかるのか、体感時間としてわからなかった。

とりあえず、新宮のあたりにナビをセットした。そのあたりで休憩するつもりだった。

ところが、1時間半ほど運転し、4時になって、やっと紀北PAに着いた有り様だった。まだ銚子川のある海山ICにさえ着いていない。ルートを一般道優先にしたため、紀勢自動車道の無料区間に入るまで、わりとノロノロ走っていたことも原因だ。

ナビを串本にセットし直すと、到着予想時刻が9時近くになってしまった。宿のチェックインは7時半を予定していた。しかし、たぶん運転しているうちに、到着予想時刻は前倒しになってくるだろう。

売店で、バニラと抹茶ミックスソフトクリームを食べた。売店の女性が、着ているTシャツの柄を見て、「あらー、懐かしい」と、声をかけてきた。

紀勢自動車道を南へ走る。今日は熊野花火大会があるため、自動車道は途中で通行止めとなり、一般道におりなければいけなくなった。

42号線を大泊まで、わりと順調に走っていたが、鬼ヶ城に曲がる道を通り過ぎてトンネルに入ったあたりで渋滞が始まった。

トンネルを抜けると七里御浜だった。花火大会はそのあたりからずっと南に延びる海岸線に沿って行われるようだった。渋滞もひどかったが、一車線であるのと、交通規制がすでにされているためのとで、まったく進まないというわけではなかった。歩道は沢山の人々がいて、海岸に向かっていた。海岸沿いの道は人で埋め尽くされていた。

道の駅熊野・花の窟を通り過ぎたあたりで、車が流れ始めた。そこから離れるに従って通行は楽になった。

そのあたりで、忘れ物に気がついた。明日、串本でデジカメを借りる予定だったのだが、SDメモリーカードを持って来るのを忘れていた。

どこかで買わないといけないが、どこに売っているだろう? そう考えながら運転していると、右手にエディオンがあった。右折しようか? どうしようか? 一瞬迷っている間に通り過ぎてしまった。

時刻は5時半を過ぎていた。とりあえず、コンビニに入ってSDカードが売られているか調べてみようと思った。ついでに、現在地点をGoogle マップでも確かめたかった。

42号沿いの左側にファマリーマートがあったので入ってみた。入ってすぐ、SDカードを見つけることが出来た。ゲーム機に使われるため、需要があるらしい。助かった。

再び42号を南へ。新宮の先から自動車道になり、下里まで抜けた。これで、到着予想時刻が大幅に前倒しされた。

6時40分頃に串本到着。コンビニへ行き、飲み物などを買ってから、チェッキイン時間が早くなることを宿に電話で伝えた。

6時50分、宿の駐車場に車を止めた。宿の人は少ししてから車でやってきた。説明を聞き、部屋に上がり、荷物を置いてから、隣にあるラーメン屋へ夕食を食べに行った。

和歌山ラーメンとしらす丼を頼んだ。まあまあ美味しかった。

宿に戻り、シャワーを浴び、買ってきたビールを飲んだ。10時過ぎまで日記を書いた。

両足にできた蕁麻疹はまだ治っていない。左足の足首からふくらはぎ内側にかけてがひどく、たぶん、自分が発疹した蕁麻疹歴で最悪の状態だった。写真に撮ったが、自分で引いた。右足の同じ個所にも出ているが、こちらの方が峠を越した感がある。

11時就寝。