日本を良い方向に動かす行動の一つ

午前中、昨日の仕事の続きをする。
クライアントに渡しているデータベースは、基本的な構造を作ったのが二年前なので、あちこちに現状とそぐわない部分が出てきている。
そういう箇所で直せるところは直していく。

昼、大勝軒のつけそば。
やたらに並んでいた。
ひょろひょろに痩せた大学生三人組みが、果敢に大盛りにチャレンジしていた。
出てきた丼を見て目を丸くした後、メガネ君の一人は、
「よし、ぜってー食ってやる」
と言って、割り箸を割った。
心の中で「よしよし、いいぞいいぞ」と思いながら眺めていた。

東池袋大勝軒の山岸氏が有名になり、「大勝軒」という名前のネームバリューが上がり、その看板が掲げられているだけで集客力が上がるということがあるかもしれない。
しかし「大勝軒」にも系列があり、自分が好きなのは東池袋のではなく、中野の系列だ。

夕方鍋横で稽古。
シーンも中盤を過ぎ、登場人物のキャラクター造形もそれぞれ固まりつつある。

今回自分が演じるのは興信所の所長だ。
横森さんからは、
「昼行灯という感じで」
という基本路線を敷いてもらった。
あとは、稽古で色々好きなことをやらせてもらえている。

とはいえ、やりながら、
(おれは好き勝手にやっていいんだ)
と思うわけではもちろんなく、様々な方向で大げさに試してみて、これは違うなという境界線を見つけてから引き返すことを繰り返している。

昼行灯という言葉については、逆からアプローチしてみた。
つまり、自分の演じる役は、おそらく「昼行灯」と言われたら心外に思うんじゃないかということ。
望んで昼行灯を目指す人はそんなにいない。
なにか別のとこをを目指した結果、周りから昼行灯と陰口をたたかれ、本人はそのことに気づかず、
(けっこう、自分は、自分のなりたい自分でいられてるな)
と満足している。
その満足する感じが、ますます昼行灯っぷりに拍車をかける。

結果的に昼行灯に思われるような、なにか別の指向。
そう考えていくと、過去に自分が個人的に、
(この人は昼行灯だなあ)
と感じた人が思い浮かぶ。
彼らはなぜ、昼行灯だったのだろう?
たぶん、あの時、ああしたり、こうしたり、していたからだ。
では、今回の役でも、その時、そうしたり、こうしたり、してみよう。

だいたいそんな感じで稽古に臨んでいる。

稽古場ではなるべく、視野に全体が入るような位置に座るようにしている。
誰か一人ではなく、全員を漫然と眺めるようにしていると、ぼんやりとした気分に浸れ、それが、演じる役のぼんやりした心を醸成するように思えてくる。

中野の「伊賀」で夕飯。
ハンバーグ定食を食べる。
中学生が座っていた。
店のおっちゃんが、
「ご飯、大盛りにしとくか?」
と中学生に聞いた。
中学生はマンガを読みながら上の空で、
「あ、はい」
と答えた。
「野球部の練習、大変か?」
「あ、はい」
どうやら、近所の中学生のようだ。
母親が、なにか用事があって留守で、夕飯を「伊賀」で食べるようにしてあげたのかもしれない。
おっちゃんが、中学生にご飯を盛ってやる感じが、とても懐かしい風景に見えた。

若者が大盛りを食べる姿が、最近とても好きだ。
食べろ食べろ。
それは、日本を良い方向に動かす行動の一つだよ。

チャールズ・エリス『敗者のゲーム』読了。
経済学の素養がないため、読みこなすのはしんどかったが、部分部分で示唆に満ちたキーワードがあったと思う。
素人は売買では勝てないのだな。