痛い目

7時40分起き。
夢日記をつけようと思っていたのに、ノートとペンを枕元に置くのを忘れていた。
夢は淡雪のように消え去った。

9時から仕事。
K君が少しずつスキルを上げているので、別のデータベースにかける時間が長くなりつつある。
そして、放置期間の長さと、その落とし前について、暗澹たる気持ちになる。
どこから手をつけたらいいものか。

一番いいのは、まっさらな状態から作り直すことだ。
それが出来れば苦労はしない。

とあるExcelの表がある。
その表にデータを入力し、データベースにインポート・エクスポートするという運用が、どういうわけか決まってしまい、その作成に10月末まで終われた。
そこに、自分の意志はまったく反映されていない。

もし意見を聞かれたら?

「どこのどいつがそんな馬鹿なことを考えついたんだ?」
「どうして誰もその案を止めなかったんだ?」

こう答えたろう。

ともあれ、とにかく何が何でもやらねばならないという、決定事項になってしまっていたのが9月だった。
芝居の本番が近く、色々あったというのに、よくもまあ作ったもんだ。
システムは、きっちり10月中に仕組みを完成させた。

だが、そのシステムはいまだに運用が開始されていないらしい。
自分に言わせれば?

「どこの暇人が横数百列もあるExcelの入力をきっちりこなせるっていうんだ?」
「どうして必要な列だけのシートしなかったんだ?」

鶏を割くに牛刀を用いる、まさにそのもののシートであり、データをインポートするにはこれほど大げさなものはない。
沖に出てシロギスを釣るのに、ボートじゃなく戦艦大和を使うようなものだ。

だから、作りたくて作ったシステムじゃない。
でも、作るのは自分しかいない。
自分しかいないのに、きちんと依頼されたことはあまりない。
なんとなく頼まれ、自分以外の人が締め切りを責められ、義侠心に駆られて作り上げる繰り返し。

昨日、ミーティングに参加したのも、現状をちゃんと把握したかったからだ。
作る以上、ちゃんとしたものにしたい。
だが、現状はひどい。

改修、対策を色々講じながらも、K君への講義も忘れない。
K君、自分に対して色々な呼び方を試みていたが、結局「神さま」に落ち着いた。
メールをくれる時もそうである。

夕方、打ち合わせで本社ビルへ。
入ったのは2年半ぶり。
1時間ほど話し合いをするが、自分の出来ることはそれほどなかった。
今までやっていた業務が楽になるかと思ったが、かえって別の仕事を振られてしまい、軽いため息とともにオフィスへ戻る。

振られた仕事のうち一つを電撃作戦でこなす。

6時20分にあがる。

飯田橋で、交友会。
新撰組に踏み込まれる前の池田屋みたいな集会。
自分としては、珍しいメンバーでの会だったので、仕入れたジョークでも小粋に披露して、エンターテイメント神経を活性化させるつもりであったが、実は自分を含めた数名の、仕事に対するストレスを心配した方が、励ます会として企画してくれたことを知る。
会話は自然、そのあたりの話になる。

仕事についてストレスをためているかというと、実のところ最近はまったくためていない。
2年前の方がためていた。
だから、心配されてもらうほど、別のストレスが顔に出てきたのだろうかと思う。

話を聞くと、先週の午後、自分がものすごくいらいらしているのがわかったと言われ、ああと膝を打った。
たしか、作ったツールを見せようとしたら、頼んできた人々が皆、どこかへ会議に出かけて留守だったのだ。
大急ぎで作って欲しいみたいなことを言われたので、1時間で作り上げ、よっしゃと思って振り返ったら、もぬけの殻という図。

だが、あれは頭に来たのであって、ストレスをためたわけじゃない。
「依頼してどっか行ったお前らボロ負け。昼休み後に完成させた俺圧勝!」
そういう風に思って、脳内のポルシェ930ターボのボディーに勝利の星マークを貼っていたくらいだ。

でも、自分以外にストレスをためていると思われる面々も、
「平気です」
というようなことを言うので、もしかしたら自分もその人達と同じで、気づかぬうちにためているように見えているのだろうかと思った。

11時まで色々な話をするうち、凝り固まった毒が言葉になってほとばしる瞬間が何度もあった。
毒を飼うだけでなく、場を良くするために、具体的な行動に移した方の話を聞き、
(これはもう、明日、自分も自分のできることをするしかないな)
と腹が決まった。

出来ることといっても、思うところを正確に、伝えるべき人に伝えるだけなのだけど。
伝え方にどれだけ熱を込められるかかもしれないな。

12時帰宅。

逃げたり、跡を濁して去る人間が、どれだけ嫌われるのか、身にしみる会だった。
跡を濁すということに関しては、きれいにしたつもりでも、濁しているということがあるので、請け合えない。
だが、逃げないと言うことに関しては、命を張らないといけない。
最低限、自分が逃げていたことに気づいたら、恥ずかしさで顔を真っ赤にするくらいの「つつしみ」は必要だ。

自分は学生時代演劇をやっていたのだけど、別の体育会系サークルにいた友人から、先輩の話をよく聞いた。
夏合宿で1年生は洗濯をさせられるのだけど、やっと終わったと思ったら、満面の笑みを浮かべて、追加分を持ってくる先輩がいたそうだ。
その人は、自分が所属していたゼミが一緒だったので、サークルの上下関係なしに先輩として見知っていた。
友人は、その先輩を、尊敬しているといっていた。
自分も、友人から聞くその先輩のエピソードから、かってにその人を尊敬していた。

ああいう先輩を持つと、後輩は、
(おれ、ああいう先輩になろう)
と思うもんだ。

人の道だ。

自分は、ああいう先輩になろうと思うような先輩が、3人もいたので、自分が先輩になるにあたっては、お手本に苦労したことがなかった。
ほんとに、先輩に恵まれた。

たぶん、仕事先で「逃げている」彼は、いい先輩に恵まれていないんじゃないかと思う。
一度、本当に痛い目に遭わないと、おそらく自分の人生に復讐される。
「俺も、今回のはほんとこたえました」
なんて、人に喋れるレベルの痛い目じゃなく。