死に方と覚悟と加賀丈史

 樹木希林さんが乳がんの手術を受けた記事を読んだ。
 死の覚悟は出来ていて、遺書なども用意していたという。
 本人は落ち着いたもので、娘さんの方がオロオロしていたとか。
 という言葉を使っても空々しく感じられないところに、樹木希林さんの凄みがある。

 昨年暮れに亡くなった叔母は、死の前になぜか兄弟たちに電話をかけていた。
 うちの母にも前日の夜電話があり、何気ない会話を楽しんだ後、珍しく父とも話をしたという。
 死んだのはその翌朝だった。
 心筋梗塞の発作を起こしたのだ。
 叔母の持ち物はきれいに整頓されていたという。

 叔母は戦前の師範学校に通い、敗戦後すぐ富山県で教職についた。
 間もなく叔父と出会い、結婚する。
 見合い結婚ではなかったということを最近聞いて驚いた。

 叔父の実家は地元の豪農で、祖母やうちの母は結婚に反対だったという。
 「勉強ばかりしてきた姉が、農家の嫁になるのは無理だ」
 というわけだ。
 ところが叔父は、
 「絶対に農作業はさせません。彼女には教職を続けてもらいます」
 と押し切ったのだそうな。

 とはいえ、農繁期には学校が休みになるような時代である。
 祖母は娘の嫁入り先に気を使い、農繁期には1週間以上通って農作業の手伝いをしたらしい。

 教職者としての叔母は、吃音児のための教育をいち早く取り入れたり、天覧授業をしたりと、かなりのものだった。
 葬式に訪れる教え子は引きもきらなかったという。

 教職を引退してからは真向法という柔軟体操を始め、70歳近くなっても180度開脚した状態で胸がべったり床についていた。

 叔母の死は突然死であり、前兆みたいなものはなかったという。
 だが、叔母はすでに死の覚悟が出来ていたのだと思う。
 だからこそ、死の前日に兄弟のところへ電話をかけたりしたのだろう。
 虫の知らせのように。

 夕方。
 王子小劇場の新年会に出かける。
 7時半に劇場に着く。
 着いて早々、劇団上田による出し物が始まった。
 相変わらず体のキレと発声が良かった。

 満席だった。
 参加者は昨年よりも20名増えたらしい。
 料理も劇場近くの中華料理屋からのデリバリーだった。
 照明家の山田さんと話し、機材のレンタルについて貴重な意見を聞く。

 大塚さんは、泡盛の一升瓶を持って来ていた。
 一杯もらうが、かなり強く感じた。
 昨年の王子新年会では、帰り道に嘔吐する羽目になってしまったため、今日はことさら飲み方を抑えていた。
 松本さんとも久しぶりに話す。
 「佐藤佐吉演劇祭は観に来ました?」
 と聞かれた。
 「結構見ましたよ。クロカミショウネン18、乞局パラドックス定数、クロムモリブデンですね」
 「あちらにパラドックス定数の野木さんがいますよ。どうぞどうぞ」

 松本さんに逍遥され、野木さんの座っているテーブルへ。
 そこでは菅間馬鈴薯堂の稲川実代子さんが熱弁をふるっておられた。
 野木さんは稲川さんのファンらしかった。
 突然、稲川さんに言われた。
 「あなた、誰かに似てる!」
 「誰でしょうか?」
 「うーん、そう!鹿賀丈史!」

 新日本プロレスの中西。
 つのだじろう版「空手バカ一代」の大山倍達。
 中国の映画「三国志」に出てくる関羽。
 人面犬。
 
 今までの人生で「似てる」と言われたのはこれくらいだ。

 「ちょっと待って。正面向いたら似てないの。斜に見ると似てるのよ」
 角度によっては見えたり見えなかったりするらしい。
 俺は呪いのダイヤモンドか?

 11時に辞去。
 ゆっくり飲んだつもりだったが、うちに帰ってからも酔いはひかなかった。