ダイ走

6時にいったん起きる。しかし眠く、すぐに二度寝した。

10時前に起きた。
ロールケーキの残りを食べ、コーヒーを飲み、ブログを更新していたら12時を過ぎた。

1時過ぎ、走りに行く。
家から半径5キロの範囲内にあるダイソーをめぐって、ルアーのシャッドテールワームや、スプリットリングを探そうと思った。走るというよりは買い物で、交通手段がランニングである。

まず、永福町へ。しかし釣り具は売られてなかっだ。

次に明大前へ。ここでは16グラムのジグヘッドとシャッドテールワームが売られていた。ピンクとブルーを2つずつと、ジグヘッドを4つ買った。

二店舗目で目的が達せられてしまったので、拍子抜けした。

走っている間、ラジコで、24日に放送したTBSラジオのスペシャル番組を聞いた。毒蝮三太夫が大沢悠里に振られてすぐ歌い出す展開に、走りながら笑い声を出してしまった。

幡ヶ谷、笹塚のダイソーをそれそれ覗き、スプリットリングを探すが、どちらにもなかった。次のダイソーを中野富士見町に決め、十号通り商店街を北に走った。クリスマスの土曜ということもあってか、商店街は賑わっていた。

中野富士見町のダイソーには釣り具が売られていなかった。その時点で9キロ半ほど走っていたので、ダイソーめぐりはそこで切り上げることにして、家に向かって走った。家の手前200メートルくらいの地点で走行距離が12キロになったので、そこでランニングを終えた。

風呂に入り、サミットへ行き買い物をした。昨日買ったチキンとチーズとスモークサーモンがまだ残っていたので、食べ物はそんなに買わなくても良かった。お惣菜コーナーでパエリアが500円ちょっとで売られていた。結構、具材が豪華で、これで500円台なら十分『買い』だなあと思った。サミットはなかなか鋭い。

結局、エビマヨとエビチリの惣菜を買った。ポテトフライが欲しかったが、オニオンリングとの抱き合わせしか売られていなかったのでやめた。

4時前帰宅。

ビールを飲み、エビチリや、昨日の残りのチキンなど食べながら、録画していたテレビを見た。

談志のノンフィクションを見た。生前、息子さんが撮り続けた膨大なビデオ映像から構成されたものだった。
家の前に自分が持っているがらくたを並べ、筆でさらさらと言葉を書いたものと一緒に売ることを、談志はよくやっていた。晩年、買いに来た客に肝臓が悪い若者がいた。その若者に、死というものについて思っていることを語る場面があった。お涙頂戴の甘いことは言わず、自分と同じく死に向き合っている戦友に送るような厳しい言葉を、自身にも言い聞かせるようにぶつけ、最後に握手していた。この場面には胸が熱くなった。
お宝場面として、森繁とさしで飲む映像があった。こちらの方は元気ですかい、と、森繁の股間に手をやり、もみもみすると、森繁は、「あっ、あっ、あーっ」などと、感じた声を出していた。爆笑ものだった。なるほど。年寄りキラーだ。
談志さんは、自分に対してもそういうふうにしてくれる若いのがいて欲しかったのだと思う。勘三郎さんは、数少ないそういうやつだったのだろう。こちらもお宝場面として、一緒に飲んだあとの別れ際に口と口でチューしていた。

次に、秋くらいに録画していた『博士ちゃん』の特番を見た。鈴木福くんがゲストに出たやつ。
この番組を見ていると、30年後の日本がどうなっているかを、わりと前向きに想像することができる。

テレビを見ながら、ビールや電気ブランを飲んだら、酔いが深くなった。気がつくと12時を過ぎていた。チーズの残りをトーストにして食べ、1時前に就寝。