ダメ出し体験と実人生の関係

昨日の夜はスイカの浅漬けを食べた。
ほんのり甘かった。

昼過ぎ、これまで覚えてきたことや、これからどうしていくかについて、助言を受ける。
覚えようと焦るあまり、視野狭窄に陥っていた嫌いがあり、コミュニケーションについて疎かになっていた点を指摘された。
芝居のダメ出しと同じだ。
ならば芝居のダメ出しと同じように解決するしかない。

芝居の場合、台詞や動きや感情表現など、表に現れるところからダメ出しが始まる。
ダメ出しを受けた人間はそれを解決するべく復習する。
解決できないと再びダメ出しを受け、同じことが何度も続くとダメ出しの矛先が変わる。
「なんでできないんだ? どういう稽古してるんだ?」

さらに続くと、うまくできない方法ばかり選ぶ人間性をダメ出しされるようになる。
ここで解決できればいいが、ドツボにはまった役者はこの段階に来ると、何をどうしたらよいのかワケが分からなくなっている。
うまくできていたところもできなくなり、ダメ出しはさらに厳しくなる。
芝居だけではなく、人生までも否定されたりする。

ここから抜け出すには、地獄まで堕ちきり、
(いままでの自分ではもはや通用しないのだな)
と実感し、自分を変えることをスタートさせなければ無理だ。
それには長い時間がかかる。

そうした経験をふまえて今の自分を考えると、まだほとんどダメ出しはされていない。
が、先手を打って自分を変えていかないと、いずれ落とし穴が待っている気がする。

厳しいダメ出しを受けた経験があると、手遅れになる前にもがくことができる。
長くやっている役者が、稽古期間中のある時期になると急にマジになるのは、かつてドツボにハマった経験を生かした危機管理ではないかと思う。

午後、演出のみきちゃんからメール。
今日はクラップの稽古のみなので、休んでも良いとのこと。
ここは素直に休んでおくべきだと判断し、夜8時に帰宅。

スイカの浅漬けで夕食。
カブトムシか何かになったような気分だ。