知人の息子

7時20分起き。朝食に、さば塩焼き、納豆、大根おろし食べる。

母から、Sさんの十回忌の話を聞く。

Sさんは母の古くからの友人で、若い頃女優を目指していた。母も演劇をやっていたので、その関係で知り合ったらしい。
NHKの連ドラに小さい役で出たりなど、細々と活動していたSさんだったが、ブレイクには至らず、夢を諦め、アルバイトを探していた。その頃すでに働いていた母は、会社のビルにある喫茶店の仕事を彼女に紹介した。
女優志望の美女がウエイトレスになったのだから、とても目立った。母の会社に通う取引先の男性も、彼女に目を止めた一人だった。

「ウメイさん(母の旧姓)の会社に来るの、僕、楽しみなんですよ」
「なんで?」
「一階の喫茶店に、きれいなウエイトレスがいるんです」
「んまっ。あたし目当てじゃないのね」
「えへへ、すいません」
「ん? もしかして、鼻が高くて、髪がこんな感じの子?」
「そうです」
「あたしの後輩よ」
「本当ですか?」
「紹介してあげようか」

それが縁で、Sさんは結婚した。
母の古いアルバムに披露宴の白黒写真がある。ウエディングドレスを着た美女と、GS初期のボーカリストみたいなさわやか青年のカップルが映り、その隣にドヤ顔の母がいる。諸々の情報から推察するに、ビートルズが「リボルバー」をリリースする前後ではないかと思う。当時の日本でウエディングドレスの披露宴はまだ珍しかったと思う。

男の子が二人生まれた。

Sさんは伊豆に別荘を持っていた。子供の頃、毎年夏になるとお呼ばれして泊まりに行った。Sさんの家にもよく行った。泊まったこともある。母が、夫婦二人と親しかったからできたことなのだろう。そういえばオレが四歳の時に初めて買ってもらった自転車も、Sさんパパが販売店を紹介してくれた。初めて見たコンサートの西城秀樹ショーだって、Sさんパパがチケットを手配してくれたのだ。

Sさんパパは十年前に男やもめになった後、数年後再婚したという。十回忌の集まりに奥さんは来ていなかったらしい。母が奥さんのことを尋ねると、Sパパは言った。
「M子(Sさんママ)は、家では化粧っ気ひとつなかったけど、今は…(両方の指で眉やアイラインを引きながら)ベター…ベター…ですよ!」
辟易しているような言い方が、母にはとてもおかしかったようだ。

Sさんの息子のうち、オレと同い年の弟は、中学生の娘を連れてきてきた。
「ものすごく可愛いのよ」
ミーハーで、芸能人の顔ランキングにシビアな母がそれだけ褒めるということは、顔面偏差値67くらいはあるということだ。
「きっと、おばあちゃん(Sさんママ)に似たんだわ」
懐かしそうに、母は言った。

兄弟の兄は、来ていなかった。
オレの三つ上で、西城秀樹の大ファンだった。
弟が言うには、連絡が取れなかったのだという。

「そりゃ、来づらいかもしれないけどねえ」母が言った。
「何で?」
「勘当されたの」

兄は、大学を出て就職したあと、数年後仕事を辞め、事業を始めた。ところが、うまくいってなかったのか、親戚中に金を借りまくっていたのだという。

「うちにも来たんだから」
「マジで?」
「M子が亡くなってからよ。これ、誰にも言ってないんだけどね。デニーズで会って、借用書書いてもらったわよ」

その後、返済期日が近づいても連絡がないので、母は電話をして諭したという。

オレが知っている彼は小学生の時までなので、その後どんな大人になったのか、まったく知らない。
ただ、大学の時バンドをやっていたことは聞いたことがある。自主制作のシングル盤がうちに一枚あった。バブルの頃は彼女を車でせっせと送り迎えしていたそうだ。

仕事帰り、ラジコで「たまむすび」を聞きながら帰宅。赤江さんの母乳話が面白かった。ジャパネットのコーナーでいつもテンションが少し落ちる。

6時半帰宅。水耕栽培に水を足す。昨日は雨だったので、水はそれほど減っていなかった。

Sさんの長男のことをエゴサーチしてみると、各種アカウントが見つかった。現在は飲食業をやっているらしい。
プロフィール写真は小学生の頃の面影を残していた。
店は三年くらい前に始めたようだ。おととし脳梗塞で入院したらしい。母から聞いた時のような、ちゃらい印象はなく、淡々と仕事をしているようだった。病気で、人生観が変わったのだろうか。名乗らず、ぶらりと訪れてみたいと思ったが、なぜか場所が載っていなかった。