高倉健で男補給

 昨日は10時半に床についてみた。
 しかし、当然のように眠れず、眠くなるまで起きていたら3時になってしまった。

 不眠症であるという自覚はない。眠くないなら起きていればいいという考えに則って生活していると、夜眠れないということがさほど苦にならない。
 ツケを払うのは朝だ。

 マグネシウムの旗揚げ公演を終えた頃、いくら寝ても眠気がとれない状態になった。
 一週間くらい続いた。
 当時、バイク便のライダーをやっていたので、朝の七時半にはうちを出なくてはならなかった。
 しかし、眠いのだこれが。
 季節は11月の後半で、朝はかなり冷えこみが厳しいのだが、それでも眠気を追い払うことは出来なかった。
 信号で止まるたびにうつらうつらしていた。
 後ろの車のクラクションでハッと目を覚ます状態である。
 今思うと、よく事故を起こさなかったものだ。

 バイク便の仕事を始める前には、市場の青果卸売店で朝の5時半から働いていた。
 これも眠かった。
 朝飯を食う余裕などないから、配達をしながらバナナを1本拝借して、トイレでこっそり食ったりしていた。
 おかげで3ヶ月で7キロも痩せた。

 その前は居酒屋の店員を5年半もやっていた。
 夜の7時から朝の4時までである。
 当然、生活は夜型になる。
 仕事が終わって家に帰り、シャワーを浴びて寝るのが朝の7時。
 ところが俺の家の目の前は小学校で、秋になると運動会の練習の音がまことにうるさい。
 「アジアの純真」が流行っている頃で、たぶん低学年のお遊戯みたいなやつに使ったのだろうが、ばかでかい音であのイントロが流れる。
 そして教師がメガホンを使って指示を出す。
 「はーい!そこでみんなぐるっと回ってー!せーので元気良くー!」
 「アジアー!」

 うるせえ!
 今何時だと思ってんだ!
 そんな心の叫びを何度発したか知れない。

 とにかく現在は、その頃に比べると極めて健康的な生活をしているわけだ。
 何しろ朝仕事に出かけ、夕方うちに帰り、飯を食って風呂に入り、台本を少し書いたり本を読んだりするわけだから。
 ところが、どうもその健康的というやつがよくないらしい。
 長年、非人間的な生活をしてきた報いかも知れないが、規則正しい生活を体と心が拒絶するのだ。
 だから昨日なども、睡眠不足にも関わらず、眠れなかったのだ。

 何事もなく仕事を済ませ、うちに帰った。
 本を読み、飯を食ってから、4キロばかりマラソンをした。
 それから風呂に入り、台本の続きを少し書いた。
 何の変哲もない平日の過ごし方であるが、どうも狐につままれているような気がする。
 騙されている気がする。
 久しぶりに走ったから体は疲れている。
 でも、たぶん、このまま横になっても眠れないに違いないのだ。
 何か不健康なことを一つしないと、眠れないのだ。
 例えば夜更かしとか、過ごし気味の酒とか。

 「幸福の黄色いハンカチ」をテレビでやっていた。
 高倉健を堪能し、「男」を補給する。
 やはり健さんはいい。