死者との対話

9時起き。

特に予定はなかったのだが、久しぶりに東小金井『宝華』の宝そばが食べたいなあと思い、行くならついでに走ろうと考え、それなら今日はお彼岸だし、走るついでに墓参りをすることにした。

『宝華』の開店時間は11時半だった。10時半に家を出て、荻窪駅まで走った。

JRで東小金井まで行き、11時20分過ぎに店の前に着いた。すでに10人くらいの客が並んでいた。

事前注文で、宝そば大盛りとネギ丼のセットに、玉子スープを頼んだ。

11時半開店。待たずにカウンターに座ることができた。

すぐにネギ丼が供された。食べ終わる前に宝そばがきた。お酢、ラー油、胡椒を少しずつかけ、一気呵成に麺をすすった。

玉子スープは小を頼んだのだが、丼サイズの器で出てきた。三年前に免許更新をした帰りにこの店に来た時、玉子スープをほかの料理と一緒に頼もうとしたら、「大きいですよ」と店員の女性にたしなめられた。その頃、小サイズはなかったと思う。今日のが小なら、普通のはラーメンの丼サイズだろう。さすがに多い。

隣の席には白人男性が座っており、中華定食風のものを食べていた。

会計をして店を出る。時刻は12時になっていた。

JRで福生へ。国分寺で青梅特快に乗り換えたので、わりと早く着いたが、立川あたりで眠気を感じた。インスリンが分泌され、血糖値が急降下したのかもしれない。

福生で降り、墓地に向かって走り始めた。右足のふくらはぎに張りがあったので、ペースはゆっくりにした。

橋を渡ってから、草花通りを霊園に向かって走る。途中の酒屋で花束と線香を買った。

駅から霊園までの距離はたったの4キロだった。6キロくらいはあると思っていたので拍子抜けした。前回来たのは昨年の3月で、国分寺から走ってきたので、ものすごくたくさん走ったような気がしていたのだ。

霊園の北側入口から坂を上った。そして、前回来た時と同じく、道を間違えたと思った。うちの墓よりも高いところにある道まで上ってしまった。結局、前回来た時と同じように、迂回して坂道を下りた。

墓には花が供えられていた。それほど古くはなかった。妹か母が来たのかもしれない。

古い花を片方にまとめ、買ってきた花を右側に供えた。線香を二つに分けて火をつけたが、バラバラになってしまい、すべてに火をつけるのに時間がかかった。

その後、墓の前で手を合わせたのだが、墓の中には父の骨しか入っていないので、やることは実家で仏壇に対してやっていることと大して変わらなかった。声に出して喋るのだ。

「ラグビーワールドカップ始まったよ。うんうん。だよねー。あと阪神優勝した。見た? あっそ。オリックスも。ほんと。マジでオリックス強いよ。イチローいた時より強いよ。個人的にはヤクルトとオリックスの日本シリーズを今年もやって、完全決着にして欲しかったけどね」

など。

しかも、自宅には散骨で余った父の骨が、小さい金属ケースに入った状態で、あらいぐまラスカルの小さいぬいぐるみの隣に置いてある。その骨に対しても、時々喋る。

「ストーンズの新しいアルバム出るよ。まさか出るとは思わなかった。ストーンズ知らない? そのへんにチャーリー・ワッツいるでしょ? お父さんの三ヶ月あとに来た人だよ。いや、日本人じゃなくて。なんでチャーリーなのに日本人なのよ。それは新喜劇の人でしょ。あなたのちょっと前にそっち行った人だよ」

など。

実家の仏壇で父と喋る時は、大抵、シーバス釣りの愚痴になる。

こうした喋りは、父が生きていた時にしていた会話と変わらない。生きていた時の父は、こちらからの喋りに対して、多弁で返す人ではなかった。ニヤリとするか、何かひと言返すか、そのくらいだった。しかも、オレは父の真似をするのがうまいので、そのひと言を真似できてしまう。

「…てことはさ、オレの体感的には、前と変わっていないんだよ。そのせいかもしれないけど、今まで、お父さんの死について、感傷的になって泣きたくなったことが、ただの一回もないんだよ。いやほんとに。死んでからしばらく経って、何かの折に、ああ、お父さん死んじゃったんだ、みたいな感じで、いつの間にか泣いている自分に気づくみたいな茶番がまったくないんだ。でも、それってめちゃくちゃ幸せな展開だと思うんだ。実際どうよ。あなた、そういう湿っぽいの、ドラマでもドキュメンタリーでも、嫌いだったでしょう」

こんな感じに、墓の前でベラベラ喋っていたが、他の墓参り客が歩いてきたので切り上げた。ランニングの格好をした汗だくの男が、墓の前で「阪神優勝したよ」などと喋っているのは、日中とはいえ、さぞ不気味だろう。

霊園の入口を確認しながら道を下りた。入ってきた時の道より西側から入れば良かったのだ。

草花の道を走る。右足ふくらはぎの張りが強くなっていたので、時々止まり、ストレッチをしつつ走った。

いなげやでトイレを借り、再び走ろうとした時、右足ふくらはぎがブチッといった。

あっ、やったな、と思った。肉離れだ。

右足ふくらはぎは、2016年と2018年にそれぞれ肉離れを起こしている。どちらもマラソンのレース中、ハーフの距離に到達する直前だった。2019年にも左足ふくらはぎの肉離れを起こしたが、それは2月の寒い日にいきなりダッシュしようとしたらブチッといったのだった。だから例外。

まず、バス亭を検索した。幸い、その場所から数百メートルのところに、福生駅行きのバス亭があった。そこまで歩き、バス亭前のドラッグストアでアクエリアスを買って飲んだ。

時刻表を見ると、20分後くらいにバスがくる予定になっていたが、なぜか、アクエリアスを飲み終わってすぐにバスがきた。迷わず乗った。

福生で中央線に乗り、荻窪で総武線に乗り換え、阿佐ヶ谷で下りた。阿佐ヶ谷からLUUPで帰宅した。今月上旬に散々LUUPを利用した経験が生きた。

4時過ぎ帰宅。シャワーを浴び、右足ふくらはぎにテーピングをした。歩く時につま先で地面を押すようにすると、ふくらはぎに痛みが走った。

ネットで整骨院を調べた。高円寺にある整骨院の評判が良かったので、LINEを登録し、予約メッセージを送信した。しかし、土曜は休みらしく、既読にならなかった。

夕食に、冷凍お好み焼きとうどんとキャベツを使い、強引に広島風にしたお好み焼きを作って食べた。他に、天むすとたらこおにぎり、ホットドッグ。食べ過ぎ。

6月中旬からほとんど毎日走っている。今回の肉離れはそれによる疲労が原因ではないかと思う。特に最近は距離が7キロから8キロに伸びてきた。昨日も雨が降っているのに夕方走った。

11月にマラソンがあるので、走れなくなるのは困る。どうにか短い期間の養生で、ぼちぼち走れるようにならないかと思う。

夜、『パタリロ!』を読み返す。最近、ヒューマン・リーグのMVを見て思ったのだが、魔夜峰央先生の絵柄は、要するに、ニューウェイブなのではないか? 

江口寿史が1956年、鴨川つばめが1957年生まれ。魔夜峰央は1954年と、二人より年上なのだ。鴨川つばめは、ニューウェイブ前のパンク時代に燃えつきてしまった感がある。実に惜しい。絵柄的にニューウェイブこそ合っていたはずなのに。

そして、『パタリロ!』に出てくるタマネギ部隊の、ひし形の口は、鴨川つばめ『マカロニほうれん荘』の、トシちゃんの口だ。ぱくり、ではなく、これはインスパイアと言うべきだろう。

1983年前後の『パタリロ!』は面白い。バンコランが叔父のキーンと戦う話は、全巻中白眉の長編シリーズだと思う。