午後3時、吉祥寺に行った。
捜し物があったのだが、丸井がやっていなかったので、新宿まで出ようと思った。
ホームで東京行きを待ちながら本を読んでいた。
やがて電車が到着。
ところが電車の警笛がやけに長く響いた。
尋常ではない長さ。15秒くらい。
あまりのうるささに何事かと思って運転手の方を見ると、電車はホームの真ん中辺で止まってしまった。
人身事故だった。
駅員が集まってくるまで2分ほどの間があった。
乗客とホームにいる客が、心も体も中腰の状態で判決を待っていた。
車両の連結部分を一人の駅員がのぞき込んでいた。
同時に惨状を客の目にさらさぬよう体を張っていたのだ。
救急隊員達が来てから救助するまでが早かった。
駅員同士が車両の下を見ながら大きな声で、
「今、腕がうごいたから!」
などと会話していたが、おそらく嘘だろう。
客の心理を慮ってのことだ。
生きてられるはずがない。
駅員も救助隊員も、手際は鮮やかだった。
きっと、慣れているのだろう。
死は身近に、その辺に転がっているってことを、忘れていた。
ホームで読んでいた本は、カート・ヴォネガットの「猫のゆりかご」
ヴォネガット巡礼の2冊目だった。
死について暗示的な一行があった。
「さよならを言っておけば、まず間違いはない」
4時頃新宿へ出る。
東急ハンズとヨドバシカメラに行く。
涼しい。
夕方6時半帰宅。
冷蔵庫には青梗菜、長ネギ、豚の挽肉があった。
考えた末、餃子を作ることにした。
手打ちうどん作りの経験を皮作りに応用してみたら、うまくいった。
もっちりとしてうまそうな皮になった。
白菜は最近高いので青梗菜を代わりに使用。
同じ淡色野菜だからいいのだ。
というより餃子の中身なんてなんだっていいのだと思う。
皮に包んで煮るなり焼くなりすればとりあえずうまいのだ。
「ギョーザ大作戦」をやって学んだことの一つだ。
例えば卯の花とか、ほうれん草のごま和えとか、甘く煮詰めたあんずとか、ジャムとか、粒餡とか、フレーク状にした鮭とか、ラザニアの中身とか、ミートソースの缶詰の余りとか、佃煮とか、焼きビーフンとか、コンビーフハッシュポテトとか。
家にあるものやすぐに用意できるものや余ってしまったものをどんどん包んでしまえばいいのだ。
たぶん餃子の神様は、我々がそうすることを望んでおられる。
しかし、作っただけで食った気になってしまったので、全部冷凍庫に保存する。
ボールに大さじ一杯分くらいの具が余ったので、卵で溶いてスープの具にして食った。
餃子そのものよりこっちの方が好きだったりする。