ドナルド・リチーの本

 朝起きたら、夕べの酒が残っていた。
 頭がふらつく。
 二日酔いの典型的な症状だ。
 幸い、気持ち悪くはなかったので、起き抜けにご飯を食べたら、気持ちがしゃきっとしてきた。

 D.リチー「黒澤明の映画」読む。
 デビュー作「姿三四郎」から遺作「まあだだよ」までの評論集。
 佐藤忠男氏の評論だと、「七人の侍」における農民の描写に対する反感など、どうしても日本人の階級意識をめぐる好き嫌いがにじみ出てしまう。
 見終わった後で読む分にはいいが、見る前に読むものではない。
 D.リチーは外国人であるがゆえに、日本人の階級意識、倫理観、因習から自由でいられ、たぶんそのためだろうか、黒澤映画をとしてだけ分析し評価し評論する姿勢が貫かれている。
 だから、批判的なことが書かれていてさえ、その作品が見たくなる。

 ヤングマガジンの「シガテラ」を読む。
 谷脇がヤクザになって再登場した。
 オギノの中に眠っていたが、谷脇の何気ない言葉でむくむくと大きくなっていく。
 そして谷脇はその辺のところに無頓着だ。
 耳を切り取られているのをヤクザに質問され、
 「…この部分だけお経を書き忘れて…」
 と説明するところは、深刻なシーンなのに笑ってしまった。

 オギノは、人並みに真面目で人並みに親切な、本当に普通の少年なのだ。
 もし世の中が平和であるなら、彼はとしてやっていけたはずなのだ。
 谷脇の存在は、世の中がすでに平和ではなく、一歩踏み出せばそこは暴力に満ちたハードボイルドな世界なのだということを現している。
 そして、ハードボイルドな世界において、オギノのような存在はひたすらにうざったい。
 何も悪いことをしていないのに。

 特筆すべきは、谷脇にを感じないことだ。
 ヤクザになったのも、生きるための現実的選択をしたにすぎないという感じがして、悲壮感がまるでない。
 耳を切り取られたのは、自分がいじめていた高井や荻野のせいなのに、そのことで復讐はしない。
 「金も相当取ってたし、ま、こんなもんじゃないの?」  
 という台詞を吐いて終わり。
 変な男だ。

 夕方、スタミナ丼が食べたくなる。
 豚肉に塩こしょうを振って、おろしたニンニクと醤油でもんでおく。
 ご飯のくぼみに生卵を入れ、その上に炒めた肉をのせるだけだ。
 オクラと納豆とワカメの味噌汁とともに食う。
 
  スタミナ丼

 食ったら眠くなった。
 アホみたいだ。
 布団をしいて素直に寝る。
 夜の11時半に起き、メールの返事を書く。
 ああでもないこうでもないと言ってるうちに3時になった。
 足の三里にお灸をして寝る。