ジョン・レノンが死んで四半世紀

 木曜日。
 稽古は休みだ。

 演劇をはじめたばかりの頃。
 大学1年生の6月。
 はじめて出ることになった芝居の稽古は、週4日だった。
 今思えば、ずいぶん少ないペースだ。
 東京学芸大学の演劇研究部。劇団漠。
 入部した当時は、人数の少ない代の先輩が上級生にあがり、なおかつたくさんの先輩たちが卒業した後だったため、部員が勢揃いしても10人を越えるか越えないかだった。
 その時点で唯一の新入部員だったので、ずいぶん優しくしてもらったと思う。

 週7日昼から夜まで稽古という日々もかつてはあった。
 バイトができない。
 だから、とんでもなく貧乏をするのだ。
 近所の畑から夜陰に乗じてジャガイモを掘りそれを食うということもした。
 畑の持ち主も、まさかこの平成の時代に、ジャガイモを盗まれるとは思っていなかったろう。

 夕方、浅草橋で山ちゃんと待ち合わせ、封筒を受け取る。
 うちに帰り、印刷作業。
 パソコンのデスクトップカレンダーで、今日がジョン・レノンの命日だということに気づいた。
 ハードディスクに記録してあるレノンの曲をかけた。

 今年は没後25年なのだ。
 80年に没してから数年間は、レノン=聖人という解釈がまかり通っていたと思う。
 90年代の反動期を経て、2000年代の現在。
 レノン=人間(我々と同じ、弱い部分や強い部分を持つという意味で)という解釈がデフォルトになった。

 高校時代はそれはもう、毎日アルバムを聞きまくっていた。
 その頃の自分にとっては、レノン=神だった。
 好きなアルバムは『イマジン』であり、『ウォールズアンドブリッジズ』であり、『ダブルファンタジー』であった。
 20代後半になってから、『ジョンの魂』の凄さに打ちのめされた。
 飾り気のない音。
 自ら虚飾を剥いだスーパースターの生の声。

 『イマジン』は今でも好きなアルバムだ。
 だけど、台所の洗い物をしながらでも聞ける。
 『ジョンの魂』は違う。
 部屋で一人で、できれば音楽を聴くと言うこと以外なにもせず、聞くのではなく、聴くのにふさわしい。
 そして、そういう聴き方をしてまた、打ちのめされる。

 クリスマスの時期になると、ジョンとヨーコの『ハッピークリスマス』があちこちで流れる。
 アルバム『イマジン』がリリースされた71年の暮れに出たシングル。
 本来は、平和ぼけした日本ではなく、アフガンで、イランで、パレスチナで、コソボで、シェラレオネやルワンダやコンゴやアンゴラやコートジボワールで流すべき曲だと思う。

 「いい曲なんだから素直に楽しめばいいじゃん」
 という意見もあるだろう。
 だがそうした生き方に対し、きまじめに、時には愚かに見えるほど頑固に反抗し続けてきたのが、他ならぬジョン・レノンだったのだ。
 だからこそ我々は今でも彼の弱さと強さ、いくじなさと勇気を愛しており、世界のどこかで戦争が起きるたびに『イマジン』を流すのだ。