Amiga

 中野民夫『ワークショップ』読む。
 手法としてのワークショップはどういうものなのか、実例を中心に解説してあった。
 ワークショップは参加して体験しフィードバックするものであり、教わるものでない。
 だから講師ではなく、ファシリテーターがメンバーの導き手として存在するというわけだ。
 会議におけるメソッドとも通ずるものが多い。

 昼、赤坂の『赤とんぼ』でつけ麺。
 TBSの裏手、わりと静かな住宅地にあるが、大勝軒系のこってり系スープはなかなかおいしかった。

 夕方実家へ。
 いくら丼とかぶら寿司食べる。

 急にAmigaのことが気になる。
 コモドール社のパソコンで、かつて『ウゴウゴルーガ』のCG作成に使われていたというパソコンだ。
 発売されたのが1985年。
 画面に4096色のグラフィックを同時発色でき、サウンドはサンプリング音、OSはマルチタスクウィンドウを1枚のフロッピーで実現。
 当時これほどの性能を誇るパソコンはほかになかったという。

 コモドール64というパソコンを中学生の頃に買ったこともあり、コモドールには特別な思い入れがある。
 欧米では爆発的人気を得て、販売数世界一を誇ったコモドール64。
 しかし日本ではなぜかユーザー数が少なかった。
 Amigaもその例に漏れず、マニアックなユーザー以外は触れることがなく、そのうちにコモドール社は倒産してしまう。

 にもかかわらず、一度Amigaに接したユーザーはその魅力の虜となり、海外のファンサイトはいまだにたくさんある。
 Amiga Forever やUAEというAmigaエミュレーターも存在する。

 そしてAmigaといえばMEGADEMOが有名だ。
 CGや音楽を駆使した、デモそのものの芸術性を追求した作品で、これは今見てもなかなかすごい。
 音とCGに強いAmigaだからこそ、そのようなジャンルが盛り上がったのだろう。
 今でいえばなんだろう?
 Flashが近いか?

 確かにAmigaは、さわって楽しいパソコンだと思う。
 日本語環境さえきちんとサポートされ、ワープロソフトのいい奴が一つでも出ていれば、日本での普及は大分違っていたのではないか。
 しかしそんなことをいえば、それはコモドール64でも同じことだ。
 コモドール社は日本での販売代理店に恵まれなかったということかもしれない。

 思い出すのは、中2の時に『コモドール64テクニカルリファレンスマニュアル』を、九十九電機で取り寄せたことだ。
 注文して届いたのは、ファイルにバインドされた、マニュアルのコピーだった。
 かかった費用は、コピー代だった。
 あれはさすがにがっかりした。

  1. カワハラ より:

    ウゴウゴルーガ!なつかしいです!

    だーれにもーやーさしくーあーいにいきるひとぉーあにきー!!

  2. ドカ山 より:

    > カワハラさん
    実はほとんど見たことないのです。
    我々の卒公の頃だったなあ。