ハーフで棄権

4時半起き。
朝飯に、ご飯、納豆、もやし炒めの残りを食べた。

フォームローラーでふくらはぎの筋膜リリースをし、5時半過ぎに家を出た。
6時過ぎ、京王多摩川到着。多摩川河川敷に向かう。

土手を上がってすぐ下に、多摩川マラソンGPの受付テントがあった。昨年松戸で走った大会より規模がやや大きかった。2016年に走った小金井公園マラソンと同規模くらいか。

受付を済ませ、荷物置き場でゼッケンをつけた。スタート時間まで1時間あったので、河原をうろうろした。桑の木を探したが、その近辺にはないようだった。

8時にハーフマラソンからスタートした。密を避けるため、順番に一人ずつスタートラインをまたいでいった。

8時10分、フルマラソンがスタートした。

今回は、今までのフルと違って、事前に炭水化物をたっぷりとることはしなかったが、まったく食べないのは怖かったので、昨日と今朝は普通に炭水化物を摂取した。
しかし、走り始めてすくぃに、足に力が入らないのを感じた。木曜日に走った時の、走り始めの感覚にそっくりだった。

ある程度走れば、エネルギーが循環してくるはずだと信じ、序盤はあまり遠くを見ず、ペースが上がらないように気をつけて淡々と走った。

是政橋を過ぎた時、案外早く着いたな、と思った。しかし、序盤からの苦しさに変化はなかった。体が重く、ペースを上げようにも上がらない感じだった。

道沿いに桑の木が生えており、三人ほど実を採取していた。

その後も、ペースを上げずに走り続けたが、10キロちょっとの往復地点が近づくにつれて、今日は無理だと思うようになった。とにかく、走る力がまったく入らなかった。ハンガーノックになったわけではない。走れることは走れた。しかし、折り返し点を過ぎてから、土手の上に上がるヘアピンカーブを走った時、心拍数が急激に上がった。峠走と比べるとなんということのない坂なのに、駆けあがれなくなっていた。

体重は前回のレースより重かった。しかし、もっと重い時のレースでも、ここまで走れないということはなかった。要するに、体がまだケトーシスになりきっておらず、それへ中途半端な量の炭水化物を摂取したものだから、代謝がうまくいっていないのだろうと思った。おそらく、ケトン体エネルギーとしてではなく、リアルタイムに脂肪を分解して走っていた。スピードなど出るわけがない。

ノロノロとしたペースでスタート地点に着いた。係の人に棄権する旨を伝え、しばらく息を整えた。記録賞をもらうと、ハーフの距離を2時間5分で走っていた。意外なことに、キロ6分よりやや速かった。

息が整ってから家路についた。駅の階段を上がると、腿の筋肉が疲労して乳酸がたまっている時の感覚があった。
そういえば、朝も、明大前の階段で同じように感じ、あれ? と思った。たくさん食べてはいないけど、食べてないわけじゃなかった。それなのになぜだろうと思った。

11時半過ぎ帰宅。シャワーを浴び、買い物に行き、ビールを買ってきて家で飲んだ。

Youtubeで、東池袋大勝軒の創始者である山岸一雄さんのドキュメンタリーを見た。山岸さん時代の大勝軒には一度も行ったことはないが、スープの味を山岸さんが味見をして決めている映像を見て、やはり一度は行っておくべきだったと思った。

午後2時、疲労と酔いで眠くなり、ベッドに横になった。2時間ほどして目が覚めると、日が傾いていた。

起きて、永福町の『大勝軒』に行ってみたが、6人ほど並んでいたので、入るのをやめにした。そのまま、中野の大勝軒まで自転車を漕いでいこうかと思ったが、迷った末にやめた。

日が沈み、8時を過ぎてから、もう一度永福『大勝軒』に行ってみた。2人並んでいたが、店内を覗くと食べ終わりそうな客が結構いたので、後ろに並んだ。果たして、5分とかからずにカウンターに案内された。

中華麺、生卵、メンマを頼んだ。すぐに出てきた。客を先読みして麺を茹でているのだろうと思った。

食べ終わり、満足して帰宅。炭水化物デーは本日まで。明日からまた糖質制限をし、その状態で走ることに体を慣らしていこうと思った。

5月からのトレーニングを振り返ってみる。
連休中、今日のレースが行われるかどうかわからなかったが、走行距離だけは積んでおこうと思い、一日おきに10キロ走った。
連休後、5月15日に18キロ走り、17日にヤビツ峠で峠走をした。この時はまだ糖質制限をしておらず、体重は2月末と比べて5キロ増えていた。
5月18日から糖質制限を始め、次の週末もヤビツ峠を走った。この時はまだ体内にグリコーゲンが残った状態だったかもしれない。
5月31日の峠走は、糖質制限を継続するとともに、朝飯を食べずに行った。この時点で体重は4キロ減っていた。とはいえ、2月より1キロ増の状態だった。

おそらく、トレーニングということに関しては、負荷も距離も十分だったはずだ。体重コントロールができていれば、いつものようにカーボローディングをして、すんなりと走れていたような気がする。
そもそもはじめは、体重を落とすために糖質制限を始めたのだが、二度目のヤビツ走あたりで目的がすりかわり、ケトン体エネルギーを使ってフルマラソンを走ろうと思いこんでいた。
だが、糖質制限に体が慣れるのに三週間かかり、パフォーマンスが元に戻るまで二、三ヶ月かかるという。そのために昨日と今朝は炭水化物を摂取したのだが、そのエネルギーはなぜか筋肉に供給されなかったようだ。量が少なかったとは思えない。おそらく、糖質制限を三週間続けていたため、炭水化物からグリコーゲンを蓄えるまでの回路が機能しにくくなっていたのではないか。

10時就寝。