鶴マミからお酒バトンをもらった。
どうしたらいいのかわからず、彼女にメールを返送したら、その答えを日記に載せればよいとのこと。
Q1、酔うと基本的にどうなりますか。
「おしゃべりになる」
Q2、酔っ払った時の最悪の失敗談
「友人のクローゼットにつばを吐いた」
Q3、その時はどの位飲みましたか?
「酔っていたからおぼえていない」
Q4、最悪の二日酔いはどんな感じでしたか?
「寝て起きても、まだ普通に酔っていた」
Q5、酔っ払って迷惑を掛けた人にこの場で謝ります!
「蒸し返すのもなんだから何も言わない」
Q6、今冷蔵庫に入っているお酒の量は?
「ゼロ」
Q7、好きなお酒は?
「金があるなら、コニャック」
Q8、最近最後に飲んだお店は?
「年末の打ち上げの店」
Q9、良く飲む、思い入れのあるお酒は?
「よく飲むのは発泡酒、焼酎、缶サワー
思い入れがあるのは、フォアローゼス」
Q10、バトンのジョッキを渡す5人
これは、大変困った。
だれがこの日記を読んでいるのかわからないし、読んでいるとあたりをつけて指名して何も書いてもらえなかったらあまりいい気分ではない。
それから、こういうのが好きではなかったりする人を、そうと知らずに指名して、その人が逆に気を使って書いてくれるというのもやりきれない。
かといって、ここで打ち止め宣言するのも、これまでつなげてきた人に悪い気がする。
だから、次の5人を指名します。
・小泉純一郎
・ボノ(U2)
・村上龍
・奥田碩 経団連会長
・ダライラマ14世
台本書きをしながら設定を考え、設定を考えながら台本下記をしてみた。
つまり、これまでのプロセスの流れを無視してみた。
当然のことだが、頭の中は混乱している。
一人ブレーンストーミング状態だ。
だが、ストーリーの大まかな流れ、それからキャスト数は絞り込めてきた。
これから予算などを詰め、次回公演の制作がスタートすることになる。
夕方、西荻窪の『登亭』へ行くが、シャッターが閉まっていた。
以前、木曜日に行った時にも閉まっていた。
今日は水曜日。
この店の定休日はいつなのだろう。
神明通り沿いの『ランチハウス』という店でポークジンジャーを食べた。
ライスはいくら盛ろうが150円だという。
大盛りで『登亭』と同じくらいの量だ。
特盛りというのもあったが、今日はやめておいた。
ドラクエ4を少しやった。
大人になると、ゲームに費やせる時間が少なくなってくる。
高校生や大学生の時みたいに、家に閉じこもって10時間もぶっ通しでできるわけがない。
一日に1時間程度やりながら、少しずつ味わうゲームならば、やってもいいかなと思える。
ドラクエ4はそういった意味でちょうどいい。
ファミコン版をやったことがあるから、謎解きでいちいち迷うことがないし。
ネットゲームにいまいち興味がもてない理由は、時間が取れないということにある。
その世界にどっぷりはまる快楽というのは、わからなくもない。
昔、ドラクエ6をやった時の自分がそうだった。
ただ、しょせんはカートリッジだったから、いずれ世界の果てが見えてくる。
マップもモンスターもイベントもすべて味わい尽くせば、さすがにプレイ時間は減ってくる。
ネットゲームは、ログインしているプレーヤー数とそのパターンは無限にある。
現実の社会と同じくらい、組み合わせは無限だ。
そこが一番怖いところだ。
自分はRPGのプレイヤーとして、ある資質に欠けている。
それは、アイテムなんてどうでもいいと思っていることだ。
たとえばドラクエなどで、ダンジョンある宝箱があるとする。
正直なところ、必要なものが取れればあとはどうでもいいのだ。
武器なんて、自分が死ななければ別に『こんぼう』で十分だし。
じゃあなにを楽しんでいるのかといえば、やはりストーリーだ。
RPGは、物語を味わう表現手法の一つだと思う。
だから、台詞やキャラクターの設定、イベントの流れが一番気になる。
ファイナルファンタジー5はそういう意味で好きではなかった。
台詞がひどかったし、イベントやキャラクター設定にも無理があった。
音楽は大変良かった。
ファイナルファンタジーは、奇数タイトルと偶数タイトルによってストーリー指向かシステム指向かの違いがあると言われていた。
今でもそうなのかはわからないが、偶数タイトルはストーリー重視、奇数タイトルはゲームシステム重視ということだった。
実際、ファミコン版の3、スーファミ版の5は、どうでもいいストーリーだったが、ゲームシステムは凝っていた。
ジョブチェンジとか、アビリティとか。
ファミコン版の2、スーファミ版の4と6は、一応ストーリーが重視されていた。
どれも巨大な帝国とそれに立ち向かう面々という図式ではあったが。
ファイナルファンタジーの抱える根本的な問題は、スーファミ時代から見られた映画的・立体的な表現手法にある。
スーファミまではまだゲームでいられたが、プレステやプレステ2にプラットフォームを移すと、その表現は限りなく映画に近づいてくる。
「すげえ、映画みたいだ」
という感想を超えてしまい、
「これ、映画だよね」
になってくる。
ということは、プレイヤーの批評も映画批評の視点を持つ。
映画としてなら酷評されるのは当たり前だ。
そういえば映画化された『ファイナルファンタジー』も失敗に終わった。