ヴォネガット大いに語る

 昼、三菱UFJ銀行へ行き、通帳を更新する。
 なんと小学生の頃から使っている通帳で、いまだに表紙がディズニーだ。
 更新のときに変えてくれるかと思ったが、またしてもディズニーだった。
 ディズニー、ちっとも好きじゃないのに。

 『ヴォネガット大いに語る』読了。
 雑誌に寄稿した文章や講義録、インタビューなどをまとめたもの。
 1970年代前半のものが多い。

 政府が国民に苗字を支給し、同じ苗字同士の拡大家族を形成するというアイディアは、70年代半ばに刊行された『スラップスティック』に盛り込まれている。
 60年代末期に訪問したビアフラの出来事に、強い影響を受けたらしい。
 そして本書には、ビアフラ訪問に関する文章が何本か収録されている。

 アフリカ東岸の国ナイジェリア。
 東部沿岸地方が、かつてのビアフラ共和国だ。
 ナイジェリアからの独立を宣言して、およそ3年の間だけ存在していた。
 しかし、ナイジェリア軍によって補給路を絶たれた結果、大量の餓死者が続出する。
 ナイジェリア軍による強姦、拷問、虐殺も酸鼻をきわめた。

 戦争は1970年に終結し、ビアフラはこの世から消滅した。
 死者はおよそ200万人という。

 ヴォネガットがビアフラを訪れたのは崩壊直前だった。
 ナイジェリア政府を援助していたのは、ソ連。
 そして旧宗主国のイギリスだった。

 ナイジェリアは様々な部族に分かれている。
 ビアフラはイボ族という部族が建国した。
 教育水準が極めて高く、そのため生活水準や収入が他の部族より豊かで、恨みや妬みを買う遠因にもなっていたらしい。

 イボ族は家族関係をとても大切にしていた。
 たとえば、家族の誰かを大学に行かせる時も、親戚会議で決める。
 そして、その子の教育費は、親戚みんなで出し合うのだ。
 ヴォネガットはこのシステムに感銘を受けていた。

 イギリスはなぜナイジェリアの連邦政府を支持したのだろう。
 旧宗主国だからか。
 ジョン・レノンは、ビートルズ時代にもらったMBE勲章を、1969年に返却した。
 その理由が、イギリス政府によるビアフラへの武器援助だった。

 イギリスやソ連の介入は、投資と同じようなものだったろう。
 勝つ方に賭ける。国家経営の観点から見れば当たり前のことだ。
 が、投資は200万人を殺すことがある。
 直接手を下していないため、罪の意識に苛まれることは少ないが、そのことはかえって罪深さを増すように思える。

 ヴォネガットはビアフラの地で、世界の終わりを見てきたのだ。
 かつて第二次大戦でドイツの捕虜となり、味方のドレスデン爆撃を敵の土地で見てきたように。

 ヴォネガットは自分のことを、悲観主義者だという。
 確かに、ドレスデン爆撃やビアフラ崩壊を目の当たりにした人間が、
 「僕は楽観主義者ですから、人間を信じています」
 なんて絶対に言えない。

 そしてそのことは、現在も変わっていないと思う。
 世界では、ありとあらゆる残虐行為が行われている。
 知らないだけだ。

 にもかかわらず、ヴォネガットは笑いを考えることが好きだという。
 たんぱく質の欠乏症でドミノ倒しのように子供たちが死んでいく状況を見て、それでもジョークを考える。
 笑いで人を幸せに出来ないことが、あまりにも明らかな状況なのに、それでもつぶやくジョーク。
 これが、僕らを惹きつけてやまないヴォネガットの真髄だ。