12月公演で美術をお願いする松本さんと打ち合わせ。
松本さんとのおつきあいも今回で5公演目になる。
王子でした打ち合わせは数知れず。
行く店は毎度おなじみの中華料理屋。
実はけっこうおいしい店だが、打ち合わせしながらしか食べたことがない。
今回の美術は、具体的な小道具や装置を用意するのではなく、テーマを決めてシンボルとして配置するような方法をとっていく。
抽象的と言ってしまえば簡単だが、なんとなく抽象ではないので、自信をもって進みたい。
すると当然、衣装とのかねあいが出てくる。
シンボルとして配置されたオブジェが舞台上にあるとして、芝居をしている時だけそれが色々なものに見えるというのは演劇的だと思うのだが、役者が着ている服がユニクロ丸出しだったりしたら、衣装だけ時空を移動できない。
だから、今回は衣装も同時進行で考えていかねばならない。
夏が終わるやいなや、いきなり忙しい。
チラシの話もする。
忙しい忙しい。
10時半にとりあえず打ち合わせ終了。
11時帰宅。
星野博美『のりたまと煙突』読み終える。
『銭湯の女神』と比べると、よしなしごとを無理矢理エッセイ的にまとめている気がした。
面白かったのだけど、
(人はこんなに日常をエッセイ的に感じ取るだろうか)
と疑問に思ったりもした。
そんな中で、猫が死んだりいなくなったりした時のエッセイは、感情の揺らぎに真実味があり、ひりひりするような緊張感とともに読むことができた。
猫。
こうして漢字一文字をぽつんと書くだけで、
(カワイイ)
と思う人がいる。
人が、
(カワイイ)
と感じる思いを吸収し、自我に隠れた独占欲を表面にさらけ出す生き物。
それが猫だ。
「いやーんかわいいー」
という台詞を50歳過ぎた女性に吐かしめる力。
人にそれをさせる力があるという意味で、猫は魔族に近い。