『罪と罰』読む。
高校2年生の冬に背伸びして読んだのが最初だ。
郵便局のバイトをしていた年末、休憩時間に読んでいた記憶がある。
上下巻読み終えるのにひと月以上かかった。
大学生になってから2回ほど読み直した。
今回の再読は十数年ぶりである。
高校生の頭で読むのと、大学生の頭で読むのとでは、理解力は違う。
そして、三十代になった今読むのとでは、さらに大きく違う。
知識ではなく、人生で得た色々な経験が、作品を読むにあたって大きな助けとなっているのだろう。
ラスコーリニコフの憂鬱が、高校生の頃はまったく理解できなかった。
大学生になってなんとなく、
(こうしたものかな?)
というあたりはついたけれども、感情移入できるまでには至らなかった。
ところがどうだろう。
今回の再読では、ラスコーリニコフの心理がなぜかよくわかる。
身につまされるといってもいい。
ラスコーリニコフの友人ラズミーヒンも、今回の再読で印象ががらりと変わった。
善人ではあるけど、一歩間違えると<空気の読めない奴>となる。
この役を誰がやったら面白いかなどと思いながら読んでいくと、台詞がいちいち笑えた。
ブログのテンプレート変更は相変わらずうまくいかない。
調べれば調べるほどわからなくなっていく。
再インストールするしかないだろうか。