父の引退

昼過ぎより雨。

筋肉痛はほとんどなくなったが、今週は走らなくても良いだろう。
芝居の体力維持のためならば、距離を短くしても事足りそうだ。
それもすべて、来週以降からだ。

夕方実家へ。
誰もいなかったので、冷蔵庫にあった作り起きの餃子を食べた。

8時過ぎに父帰宅。
本日が会社への最後の出勤日だったそうで、紙袋に机の中のものなどを入れて持ち帰っていた。
道路でパートのおばちゃんに万歳三唱されたことが嬉しかったらしく、
「恥ずかしくてな」
と思い出し笑いしていた。
来週末に正式な送別会があるらしく、挨拶原稿を見せてくれた。
古めかしい言い回しが引用されていたので聞いてみると、教育勅語からとのこと。
古臭い教育にロマンを感じる父らしい言葉選びではあった。

引退後は孫に算数を教えると言っていた。
孫とは妹の子供であり、上の子が今年小学四年生になる。
昔から人にものを教えるのが大好きだった父は、反面人からものを教わるのが極端に苦手だ。
<教えてもらう>という状況に、屈辱的な何かを感じるようだ。
つまり、教育者としてはアウトプットの経験しかないため、教えられる側がインプットに苦しむ気持ちが理解できない。
妹はあまり深く考えずに、子供の勉強を見てやってと言ったのだろうが、誰のための勉強時間となるのかを考えると、色々複雑だ。
父の老後に彩りを与える意味では、これ以上の選択はないだけに、うまい着地点はないものか考えてしまった。