古希の祝い

10時起き。
トーストを食べる。

昼過ぎに図書館へ行き、予約していた本を借りる。
その後「ラーメン大」で野菜増しを食べる。

洗濯をし、3時半からジョギング。
すぐに左膝が痛くなる。
ごくゆっくりしたペースで50分弱走る。

シャワー浴びてから出かける。
南砂町の木曽路へ。
父の退職と両親の古希を祝う会。

15分前に到着。
個室に案内されるが、誰も来ていなかった。
仕切っているのは妹。
「こんな機会は滅多にない」
とのことで、そういう集まりを忌避してきたオレも引っ張り出されたというわけだ。

遅れて妹の旦那さんが子供を三人連れて到着。
その後妹と両親も到着。

親戚を沢山呼ぶ大げさな会ではなく、身内だけのひっそりとした会になったのは良かった。

祝う会とはいえ特に話すこともなく、近況を語ろうにも説明が難しく、料理もごく平均点で面白味がなく、居場所のなさを感じた。
こういう席は<いるだけ>でいいのだろうと自分を納得させ、仏頂面にならないようつとめた。
それでも時々妹が子供の注意をこちらに向け、
「ほらタケちゃんわかる? 健一おじちゃんだよ」
と話を振ってくるのには参った。
甥とはごく普通に一対一で会話したいのだが、妹や両親はオレが甥の頭をなでる絵を求めている。
子供にとっては恥ずかしがらざるをえないシチュエーションで、一対一の普通の会話はそこで頓挫する。

恐らく彼らが、祖父母や両親を介さずオレと会えるようになって初めて、普通の会話ができるようになるのだろう。

三兄弟はおおむね元気だった。
時々長男と次男が喧嘩をし、怒られていた。

料理も終わったところで父が言った。
「なにか、喋った方がいいかな?」
締めの言葉を喋りたいという婉曲的表現だ。

「まあ40年勤めて、今回はその祝いと、古希の祝いを兼ねてもらったわけだけれども。これは、特にタツ(一番上の孫)によく聞いて欲しいことなんだが、古希とは、人生七十古来稀なりという言葉からきている」

一番上の子はまだ9歳である。
わからんだろう。
しかし、口下手な父はこうやって、漢詩を引用した訓辞形式にしないと、想いを伝えられないのである。

締めの挨拶が終わり、散会となった。
両親はタクシーで西葛西へ帰った。
妹夫婦の家は近所なので、南砂町駅までの道を一緒に歩いた。

途中、自転車に乗った一番上の甥と話す機会ができた。
彼は自転車を押しながら言った。
「こんなにゆっくりでもライトがつくよ…ものすごく速く走って、ダイナモの電気が増えたら、電球はこわれるかな?」
叔父は答える。
「電球が壊れるほどのスピードを出したら、まず車輪がいかれちゃうんじゃないかな」
甥ははにかんだ。

妹夫婦に挨拶をし、地下鉄に乗って帰った。
ビールをあまり飲まなかったので、エビスを2缶買った。
帰宅後、それを飲んだ。