昨日30年ぶりくらいにペッツを買ったのだ。
西友で買い物をしていて、魔が差したというか。
食べてみて、懐かしさに感動ということは特になかった。
「忘れ物を届けにきました」
とトトロ風に言われ、
「あっそ、そこ置いといて」
くらいの無感動さであった。
むしろ、ペッツの包装紙に書かれていた原産国の表記に興味を持った。
オーストリア。
Wikipediaで調べると、1927年にオーストリアで生まれたとある。
日本では1972年から販売。
そういえば5歳の時、六本木の明治屋で買ってもらった覚えがある。
外人の子供が買い物をしていた。
秋だった。
記憶の蛇口があいた。
そういえばあのおもちゃは、どこ製だったのか?
教育玩具、レキシィデータ。
円上にスイッチが配置された四角い箱にシートをかぶせ、問題を解いていく。
スイッチは三択に対応していて、全問正解すると箱の右上にいる「エルくん」という円筒小僧が顔を出す。
ただそれだけ。
1970年代、デパートのおもちゃ売り場にはかならずレキシィデータのコーナーがあり、頭の良さそうな坊ちゃん刈りの坊ちゃん達が群がっていた。
どうせおもちゃを買うのならば教育上良い物をという教育熱心な奥様方に需要があったのかもしれないが、当時子供であったオレから言わせてもらうならば、無駄無駄無駄・・とスタープラチナ並に連呼したいほど無駄な玩具であった。
あんなもんで頭良くなるわけねえよ。残念だったな奥さん。
レゴの方がよっぽど良い。
ただし、自動車やおうちが出来るセットではない。
色んな形のレゴブロックを、とにかく大量。
なにかを作りたいと思った時、絶対に材料に困らないだけの数。
うちにもブロックはあったのだが、なにかを作ろうとしても必ずブロックが足りなくなった。
ものすごく切ないのだ。
お城を作っているのに、あと数かけら足りないというのが、どれほど創造力の成長を妨げているか、大人はわかってくれないのだ。
そして子供は、
「とにかくありったけのブロックを買ってくれれば、買ってくれた分だけ僕の創造性は成長するだろう。将来塾に通わせるお金のことを考えれば高い買い物じゃないはずだ」
なんていうふうに親を説得できないから、欲求不満をかかえてブロックを片付けるのだ。
うちには、お古の絵本があった。
桃太郎や金太郎などの童話アンソロジー。
この絵が素晴らしかった。
日本画なのだ。
以前実家に帰った時に、どこかで買ったであろう甥っ子用の絵本は、セル画だった。
セル画でも、いいものならいいと思う。
だが、その絵本には決定的にダメな点があった。
きびだんごが、不味そうなのだ。
子供の頃に読んだ日本画の桃太郎は、おばあさんの作るきび団子が、もう、本当においしそうだったのだ。
あんなにおいしそうなきび団子なら、犬も猿も雉も仲間になるというものだ。
洋物のお菓子や玩具のことを考えて一日が終わったような気がする。
もちろん仕事はした。
夜、実家へ。
刺身と手羽先食べる。
馳星周『長恨歌』を部屋にこもって一気に全部読む。
『不夜城』シリーズの完結編。
シリーズ中最もプラトニックな印象。
明日は『1Q84』の発売日。