修業時代

10時起き。
鮭、納豆、卵焼き、みそ汁、ご飯。
こういう朝飯が一番うまい。

昼前に図書館へ。
小林信彦の文庫本を3冊借りる。
買い物をして帰宅。

借りた本のうち1冊は持っていた。
『日本人は笑わない』というタイトルが変わったものだった。

『本音を申せば2』を読む。
週刊文春に連載されているもの。
2005年あたり。

夕方5時過ぎ、走りに行く。
富士街道を西へ。
東伏見を戻るコース。
前にも走ったことがあった。
思ったより短い。15K。

シャワーを浴び、サラダとエビフライを作って食べる。
以前は溶き卵にくぐらせてパン粉をつけていたが、小麦粉や塩胡椒や水を加えた生地を作り、それにくぐらせてみたら、揚がった衣がサクサクして非常に具合が良かった。

『本音を申せば2』読了。

夜、ひょんなことから修業時代について話す。

24歳になってすぐ、演劇の養成所みたいなところに入った。
養成所というより、ある演出家さんの私塾のようなところだった。

入ってすぐに自主公演があり、稽古とバイトに明け暮れる日々が始まった。
それなりに充実していたが、
(こんなものか)
といい気になってもいた。

3ヶ月後に中間公演の稽古が始まった。
シーンによってチーム分けされた。
ところがコミュニケーションがうまくいかず、稽古は進まなかった。
師匠の演出家から、毎日ダメ出しをされた。
ダメ出しをされればされるほど、どうしたらいいのかわからなくなった。
朝になると稽古場に行くのが辛かった。

やがて本番を迎えたが、ストレスで喉を痛めてしまった。
「芝居がダメなんだからせめて声くらい出せ」
というダメ出しを受けた。

公演が終わり数日後に反省会があった。
「お前は周りから面白い奴だって思われて来たんだろ。それで自分でもそう思って来たんだろ。でもお前は、はっきりいって全然面白くない」
師匠にそう言われた。

反省会が終わってすぐ、翌年に師匠が演出する芝居の雑用係に志願した。
「お前がやれるの?」
師匠は嫌な顔をした。
足手まといが増えるという感じだった。

雑用係は7人いた。
その7人は同時に、次の自主公演のメンバーでもあった。
師匠の芝居の稽古開始まで2ヶ月空いたので、毎日自主練をした。
ちょっとでも気を抜くと仲間にキツイダメ出しをされた。
バイトをしている暇がなかった。

師匠の公演稽古が始まっても、気を抜けない日々は続いた。
役者さんのプロンプが下手で、怒られたこともある。

稽古場のカギ係になり、朝一番に稽古場に着いた時、師匠と二人きりになったことがあった。
「ためになってる?」
そう聞かれた。
「は、はい、毎日、とても、刺激的です」
師匠は吹き出した。

公演の手伝いが終わり、自主公演の発表を済ませたあたりから、稽古場に通うことが苦ではなくなっていた。
たぶんそのあたりで、突き抜けられたのだろう。

卒業公演の稽古が始まった。
殺人事件が起こる芝居で、皆は犯人役を勧めてくれた。
だが自分は原作にない、ルポライターという役をやりたかった。
白紙から作っていかねばならないのでしんどいが、やり甲斐があった。

稽古は楽しかった。
充実していた。

ところがある日、気の緩みからか、とんでもない寝坊をしてしまう。
1時から稽古が始まるのに、起きたのが1時半だった。
家から稽古場まで、バイクで1時間半かかった。

バイクを稽古場近くの公園に停め、ベンチに座って頭をかかえた。
もうおしまいだと思った。

稽古場のドアを開けると、自主練している友達がいた。
「どうしたの?」
答えられなかった。

師匠は怒らなかった。
軽くため息をつき、
「なーにやってんだよ」
と言っただけだった。
「すいませんでした」
と謝り、着替えるフリをしてトイレの個室にこもった。

涙がボロボロこぼれた。
あれがたぶん、演劇で泣いた最初で最後だ。