三兄弟

朝8時半起き。
ご飯、納豆、鰺、昨日の寄せ鍋の残りを食べる。
夜更かししたので二度寝。

昼に起きる。
甥っ子3兄弟が来ていた。
「ほら、健一おじさんよ、挨拶!」
と言われる。
一番上の子が照れている。
そういう年頃だ。

甥が来るといつもこのパターンだ。
「健一おじさんよ!」
と紹介されて、
「やあ久しぶりだな。大きくなったなあお前!」
なんて言えるものか。
サンタクロースじゃあるまいし。

ごく普通に、
「久しぶり」
だけで済ませた方がその後の会話は弾むのに。
ひょっとすると甥が成人するまで、まともに話すことはできないかも知れない。

子供の頃から親戚に「大きくなったなあ」と言われるのが苦痛だった。
しょっちゅう会っていればいちいちそんなことを言われることはないだろうが、何年かに一回しか会わなかったので、親戚の叔父や叔母にとってみれば、
「健ちゃん、大きくなったなあ!」
としか言えなかったのだろう。
その台詞を吐かないと場がもたなかったのだと思う。

成長というのは恥の感覚と表裏一体である。
おのれの成長を他人に言葉で指摘されるのは、嬉しくもあるが恥ずかしくもある。
特に自分の場合は恥ずかしいと思う傾向が非常に強く、
「大きくなったなあ!」
と言われることは常に恥ずかしかった。
そして恥ずかしさは苦痛だった。

3人の甥は見事なまでに性質が異なっている。
長男は実直に見え、次男は磊落に見え、三男は純情に見える。
『カラマーゾフの兄弟』を思い出して苦笑する。
似てしまってはえらいことだ。
三男だけ似れば十分だろう。

昨日の寄せ鍋をおじやにして昼飯にする。
3兄弟はテレビで『こち亀』を見ていた。
長男がDSを持っていた。
どんなソフトを持っているのか気になり、見せてもらう。
知らないゲームだった。

不意に二度寝から冷めた叔父の俺に対し、3人の接し方は三者三様だった。
長男はひたすら照れ、照れを解消する方法をおのれのうちに探しながら、もじもじしていた。
次男は型どおりの挨拶を済ませてからテレビに集中し、感情を波立たせる諸々に対して心を遮断させていた。
三男はニコニコ笑いながら、高いところにあるブロックをわざわざ俺に取ってもらおうとしていた。

面白いのは、ほとんど会ったことのない三男が、もっとも俺に慣れているように感じられるところだ。
本当に慣れているわけではもちろんない。
天使のような笑顔と、目上の者から「可愛い」と思われる声を、生きのびるための手段として後天的に身につけたものと思われる。
次男はその間逆で、目上の者が眉をひそめそうなことを、ことさらしようとする。
正反対の二人だが、どちらも根っこは一緒だなあと思う。

夕方帰宅。
オムライスを作って食べる。

『ビートルズ・アンソロジー』観る。
独り芝居の独り打ち上げで見て以来、毎日ちょっとずつ見返している。
初期ビートルズが可愛い。
ビートルズを「可愛い」と思えるような年に自分もなったのだなあと思う。