新時代の野球と日本シリーズ

8時過ぎ起き。

ファミマへ行き、でかまるの味噌、ナッツのタルトを買ってきて、食べた。

11時頃までたまったブログ更新。

12時過ぎ、走りに行く。長めの距離を走ろうと思っていたが、風が冷たかったので、10キロくらいにしとこうと日和った。
五日市街道を環八、南下して甲州街道を渡り『キャスティング』八幡山店へ。
店に入り、先日無くしたジョルティのジグヘッドを買おうとしたが、三個入り1800円したので、高えなと思ってしまった。結局、他のルアーをふむふむと眺め、もっと調べてから買おうと思って店を出た。
甲州街道に戻り、荒玉水道コースを走って帰宅。ぴったり10キロ。

風呂に入り、サミットへ買い物に行く。日本シリーズ観戦用のアルコールと、豚肉、ごぼう、厚揚げを買う。
ドラッグストアに寄り、追加分のアルコールと、水、コーヒーを買う。

豚汁を作った。

5時半、夕食に、ご飯、豚汁、カブのぬか漬けを食べた。

6時から日本シリーズを見る。
オリックスは山本くんが先発。案の定、序盤は連続三振を決めるなどして、つけいる隙を見せなかった。
ところが3回表くらいから、ヤクルトは先頭打者がヒットで出塁するケースが目立ち始めた。おっ? なんか山本くんをとらえつつあるんじゃないか?
そう思っていた矢先にタイムリーが出て、ヤクルトが1点先制した。
ところがその裏にオリックスはすぐにタイムリーで1点返し同点にした。早い。しぶとい。
ヤクルトは5回から継投策に出たが、オリックスは山本が9回まで投げきった。点を取られてからはさらに凄みが増し、こりゃ打てんなあという感じになっていた。
試合は今回のシリーズ初の延長戦になった。11回表までゼロ点が続いた。ヤクルトはマクダフが投げていた。
12回表、野手の間にぽとんと落ちるようなヒットが出て、ヤクルトが1点入れた。ツーアウトからだったのでランナーが走っていたのもラッキーだった。
12回裏、オリックスの打順は8番からだった。なんとか3番吉田まで回したいところだった。伏見が打ち取られたが、山足が四球で塁に出た。ざわつく。1番に戻って福田も打ち取られツーアウト。
次は宗だった。今回のシリーズでは全試合でヒットを打っていた。祈るように気持ちで見た。しかし宗の当たりはセカンドに転がりゲームセット。ヤクルトが優勝した。

オリックスは負けたが、12回の失点は運としか言いようがないと思った。試合時間はほぼ5時間だった。

しばらく、終わったことに呆然とする。

日本シリーズは過去何度も見てきたが、全試合をしっかり観戦したのは今回が初めてだ。オリックスがCSでロッテと引き分ける試合をたまたまストリーミング配信で見て、どういうわけか(このチームの日本シリーズは見なきゃならん)とピーンときた。その予感は、ヤクルト、オリックス共にチームの雰囲気がすごく良いという、事前に仕入れていた情報と結びついて起きたのだろう。

すぐにチケット抽選に予約した。が、たぶんオレと同じように思った人が殺到したのか、当然のように取れなかった。シリーズが始まると、コロナ仕様の収容状況でも全試合2万前後の観客を集めていた。超満員といっていい。

オレは昭和の野球で育ち、それへのノスタルジーを隠すことなく平成の野球を見てきた素人の野球ファンだが、自分の『たわ言』は、眼前のテレビに展開している試合を表現するのに適していないと思った。発する言葉がすべて、ズレてしまいそうな予感がした。

プロの試合評を読んでも、なにかしっくりこなかった。

高校野球のようだと評する人が何人かいた。それが今のところ一番しっくりする表現だった。しかし、ある一面を言い表しているに過ぎないため、その言葉が一人歩きするのもイヤだと思った。

例えば、試合を決めるに至った勝因と敗因の分析記事がいくつもあった。読むと、確かに「なるほど」と思えるのだけど、じゃあそれをしなかったら勝てなかったのか、あるいは負けなかったのかというと、違うような気がした。評論家の筆が、試合を表現しきれていないように感じた。

失策や四球、先頭打者の出塁などのチャンスを生かす集中力の高さと呼応するように、点を入れられた側もまた、それ以上点をやらないようるする修復能力の高さが尋常ではなかった。
要するに、『崩れなさ』がすごかった。映画『眼下の敵』の、Uボートと駆逐艦の乗組員達みたいだった。

それを可能にしていたのはチームワークであるが、そこには、チームのために犠牲になるという精神がなかった。いや、古い評論ロジックで言葉をひねり出せば、誰それが『犠牲に』なった云々の言葉は出てくるのだろうが、プレイしている選手達にその言葉は似つかわしくなかった。9回まで投げきった山本投手を見ても、個が全体のために奉仕しているようには見えず、プロの心意気があった。

昨年の日本シリーズとの比較ツイートが多かった。確かに昨年のシリーズは、面白くなかった。巨人は勝利の恩寵から見放されているように見えた。だがあれは、巨人がチームとして弱いということではなく、巨人を巨人たらしめてきたシステムが時代に通用しなくなってきた表れだったのではないか。

はっきり書けば、もはや、金じゃ勝てない、ということではないか。もちろん補強は必要だが、補強をする時に『金をたくさん使って』という意識があると、ダメなのではないか。

また、知将の戦術戦略でチームが強くなるという構造も、今回の両チームには当てはまっていないように気がする。高津さんも中島さんも当たり前のことをただやっている。

むしろ両監督は、過去当たり前だったいくつかのことを『やっていない』から優勝できたのではないか。昭和から平成にかけて、チームを強くすると信じられてきた方法をやらなくしたことで、時代の扉がすっと開いたのではないか。具体的に何なのかはわからないのだが。

象徴している例になるかわからないが、ヤクルトにもオリックスにも、『野次』は必要ないなあと思った。同じく『乱闘』も。あるいは『隠し球』とか、『ささやき』とか。
実際はやっているのかもしれないが、なくても全然いけるような、ないほうがしっくりくるような感じがあった。第3戦でヤクルトの青木が、デッドボール判定が出たのに自打球だと自己申告したのも、たぶん意識として当然だったのではないか。それをもったいないと思う感覚がないのではないか。

そのあたりのアップデートされた感じを言葉にするためには、評論家もアップデートしなくてはいけないと思う。そうしなくては、ちぐはぐさがつきまとう。

見る側もそうだろう。飲みながら「なーんでそこでエラーするかなあ」的な文句を言う見方は、もう古いし、その見方だとたぶんもう、楽しくないような野球になっているのだ。

飲んだくれて野次りながら野球を見るという経験が少ないであろう女性の方が、今回のシリーズを素直に楽しめたのではなかろうか。この6試合で胸がときめいてしまった女性は、のべ何万人いたことだろう。そういう女性の感想が知りたいものだ。

ビートルズ『ゲット・バック』第3話が公開されていたが、さすがに連続して見ることは無理だったので、視聴を明日に回すことにした

1時半就寝。