稽古する自分とブログ書く自分は別人

『金融のしくみは全部ロスチャイルドが作った』読むのを断念する。
ロスチャイルド家と金融の仕組みの関係を、歴史的に丁寧に振り返る本だと思っていたのだが、我々を取り巻くユダヤの陰謀についてばかり書かれており、読み手の被害者意識をかき立てる内容だった。
『いかにして問題を解くか』読み始める。
これは数学の本なので、いくらタイトルが敷衍された内容であるとはいえ、高校時代の数学成績が悪かった自分にとって、読み進めるのが大変そうだ。

自転車で1時に稽古場へ。
昼は、止めながら稽古をするとのことだったが、いったん流れ出した芝居を止められず、結局は通しになってしまった。
台詞、なかなか覚えられない。
繰り返して声に出すしかないので、暇さえあればぶつぶつ唱えている。

夕方6時前に食事休憩。
「れんげ屋」で海鮮中華丼食べる。
餡が美味。

夜、二度目の通し稽古。
帽子とサングラスとジャケットを、どのシーンでつけたり外したりするかを試す。
自分の役は興信所の所長だが、ボランティア活動として消防団もやっている。
ウルトラマン好きの消防団員という設定。
この、「好き」の加減が難しい。
好きすぎると、全体に影響してしまう。
それほど好きでないと、一カ所の台詞がうまく流れない。
「ホシノさん(自分の役)はウルトラマンがすごく好きなんです」
ということは、すごく好きなのだろう。
だが、すごく好きということを表現しようすると、どうしてもコントみたいになってしまう。
そこが気持ち悪い。
かといって、丁度良い好き加減で表現すると、台詞がエキセントリックすぎるものとして浮いてしまう。
相手役は仲澤さんだ。
いっそ仲澤さんを舞台前方までこっそり連れて行き、舞台上の登場人物には聞こえないがお客さんには聞こえるという逆のバランスで、台詞をこっそり言うのが一番面白いのだと思う。
「(ヒソヒソ)ここだけの話だけどね…」
みたいなニュアンスで。
が、そのシーンは下の舞台ではなく上の舞台で展開するのでこれも無理。
となると、深く考えず、その場の感情であるがままにいうのが一番いいということになる。

他にうまくいっていないところは、最初のシーン。
うまくいってないというよりも、稽古の最初期に作ったシーンなので、人物が出来上がりつつある現在、いくつかの台詞の言い方がそぐわなくなってきつつある。
マンガで言えば、20巻の絵と比べて1巻の絵がみんな別人みたい、という感じ。
だが最初のシーンは自分だけが芝居を変えると場面に影響するので、そこは我を出してはまずいなと思う。

書いていると、なんだかすごく考えて役作りをしているみたいだ。
そんなわけはない。
適当に、食って飲んで寝ての狭間に台詞を読んで、その都度反射で行動した結果を、今こうして振り返って文字にしているだけだ。
つまり、書いている今の自分と、稽古している時の自分は別人なのだ。

10時に稽古終了。
11時前帰宅。
ひじきと大豆の煮物を肴にビールを飲む。
夏が近づくと、アルコールの摂取量は宿命的に増える。
3月公演の時の<飲まなさ>がウソみたいだ。