人物造形の方向転換

先日再読した『ダンシング・ヴァニティ』のことが頭から離れない。
読んでいて音楽を感じる小説だった。
『脱走と追跡のサンバ』や『虚航船団』の第三部も、文体や場面の切り替わりに音楽的な何かを感じるが、『ダンシング・ヴァニティ』は音楽そのものといった感じだった。
この作品に、ネタバレはあるのだろうか?
実際に読むことで、読み手の中に音楽を聴いているかのような感覚が生まれて初めて、読んでいることになると思う。
遊園地のアトラクションに似ていて、自分で実際に読まない限り、どういう作品なのかはわからない。
そういえば音楽も、実際に耳で聞く前に、ネタバレというものはない。
どんなにほめてもけなしても、実際に聴かないとわからない。

夕方、中野富士見町で稽古。
通し稽古をする。

仲澤さんの人物造形が変わった。
昨日ラストシーンを作ったのだが、そのシーンの感じにこれまで作ってきた人物の造形ではそぐわないという演出の判断があったのだろうか。
本日昼間の稽古に参加できなかったので子細はわからない。

これまで仲澤さんが作ってきた役は、仮面ライダー1号の藤岡弘を戯画化したような人物。
それが今日の通しでは大人しい感じに変わっていた。
消防団のシーンは、自分と仲澤さんと横森さんが登場する。
ヒーローへの飽くなき情熱を示していたのは、仲澤さんの演じる人物だった、その存在がなくなっっため、<ヒーローにあこがれて消防団に入る人々>という要素が、芝居から浮き上がってしまった。
偏愛ぶりは相手役の横森さんが担当するということになったが、それに向いた台詞の量が少ないため、無理にやろうとすれば破綻するだろう。
かといって自分がヒーロー熱を放射することはできれば避けたい。
それをやると<キャラもの>になってしまう。

逆に言えば、自分がヒーローへの熱い思いを放射しないと芝居が壊れてしまうような状況にならない限り、現在のバランスに刺激を加えない方がいい。
人物造形をやり直すことになった仲澤さん優先で考えた方がいいだろう。

10時にスタジオの片付けをして解散。
新中野まで歩き、丸の内線で帰宅。

『いかにして問題を解くか』読む。
数式が沢山出てくるので、なかなか進まない。