健さんを見て背筋を正す

午前中、仕事でショックな出来事。
やめる人が二人いるため、新しい人が仕事を引き継ぐまでの間、業務を手伝って欲しいと言われる。
抱えている仕事が多すぎ、どう考えても無理なのだが、自分以外にやれる人がいないらしい。
そんな状況だから、アシスタントが欲しいという願いが受け入れられるはずはない。
ただでさえ片手間になっている、もう一つのデータベースの仕事は、一体どうなってしまうだろう。
明らかに、業務の進行が阻害されるはずだ。
トップダウン式のコストダウン指令の愚かしさだ。
トップの人は、現場に対して、消費者のように振る舞う。
「もっと安く済ませろ」
みたいな。
それでいて、現場に実際に顔を出し、実情を知ろうとはしない。
そのことについて、文句は言わない。
どこでもそんなもんだろうし、世の中そんなもんだろう。

可笑しくなってきて、机でひとりケタケタ笑っていた。
気持ち悪がられると思ったので、外に出てしばし毒を吐きだした。
午後は、むしろすっきりとした心地で、明日から取り組むべき自分の仕事について考えた。
あれをああして、これをこうして。
やってやれなくもない。
銭湯モードに入れば朝飯前だ。
その仕事をバッチリこなすことで、一番得するのは自分。
損するのは、誰だろう。

定時に仕事を終え、実家へ。
サバの味噌煮を食べる。

土曜日に放送した『プロフェッショナル 仕事の流儀』見る。
高倉健特集。
映画『あなたへ』の撮影期間中に、NHKが密着取材をしたらしい。

続いて夜10時に、同じく『プロフェッショナル』にて健さん特集の続編を放送した。
HDDに録画して、夜中に見た。
こちらはインタビューが中心。

若いスタッフに、仕事について簡単なアドバイスをしているシーンと、岡村隆史の肩に手を置いて一緒に歩くシーンが、とても印象的だった。
言葉にしてしまえば、「大スターなのに気さくで優しい」ということになる。
だが、その質感が、他のどのスターとも違っているように思う。
ちょっとした気遣いや親切を示すだけで、健さんのためになら死んでもいいと思わせてしまうだけの、不思議な力がある。
表敬訪問した堤真一が、宝物を発見した小学生みたいにキラキラした目で健さんのことを見ていた。
大人の目を、ああいう風にキラキラさせる人は、そういない。

安易な言い方かもしれないが、カリスマ性とはそういうことをいうのだろう。
何か特別なことをするわけではなく、ただそこにいるだけで、相手を強烈に私淑させる。
日本人で健さん以外にそういう人は、ちょっと思いつけない。

健さんが映画界に入ったのは昭和30年代の前半で、日本映画の黄金時代だった。
同い年の映画スターは、市川雷蔵、勝新太郎。
女優では八千草薫、久我美子。

しかし、健さんが今の健さんを作り上げていったのは、邦画が低迷した70年代半ば以降からだったと思う。
だから、60年代以前の映画スターと同じカテゴリに入れると、違和感がある。
東映をやめてからの健さんは、一作一作に魂を込めて出演しているという印象がとても強い。

健さんの芝居は、素晴らしい。
大作だが、どちらかといえばB級作品の『野生の証明』でも、撃たれた薬師丸ひろ子を抱くシーンは、たまらなく切なかった。
混じりけのない悲しみが画面から伝わってきた。
健さんの芝居を不器用と言うのは、ちょっと安易すぎるだろう。
器用な芝居の、さらに先にある境地を目指して模索する純粋さと、ぶれない心の強さが、電撃のように人の心を打つ。
ハッとする。
ちゃんとしなきゃ、と思う。