八月の随想

8月になった。
そのことを、朝の仕事で同僚k君の電話で気づかされた。
「ええと…8月の…あ、もう8月になったんですね」
と彼は言っていた。

8月1日は夏だが、31日は秋だ。
暑さに気をとられがちだが、日没の時間は急速に早まっている。

気温や食べ物やイベントや、周囲の生き物や植物の急速な変化は、八月を一年で最もドラマチックな月にさせる。
だから昔から、八月より七月の方が好きだった。
七月は、頂点に向かって登り詰めていく高揚感があったから。

それでも、八月は、瞬間の美しさがある。
このままずっとこうしていたいと思う瞬間が一番多いのは、八月じゃないかと思う。

だけど、このままずっとこうしていたいと思う瞬間の愛しさは、それが過ぎ去ってから思うものだ。
今、その瞬間の素晴らしさがどれだけ素晴らしいのかを、今、その瞬間にわかることは決してない。
今、とは、そういうものだ。

八月には沢山の、今、が詰まっている。
すでに過去になってしまったけど、素晴らしい、今、の記憶が、過去、となって、自分の中の八月のカレンダーに星印をつける。

楽しかった。
楽しかった、と、今言える、そんな過去の一瞬があっただけで、ありがたい。

カート・ヴォネガット『スローターハウス5』
大好きな作品だ。
主人公ビリー・ピルグリムは、トラルファマドール星人に拉致され、動物園に飼われる。
その体験で彼は、トラルファマドール星人的な時間の眺め方を身につける。
自分の生まれた瞬間から死ぬ時までを長い映画のフィルムにして、横から眺めるような感覚。
つまり、いかなる時でも、自分がいつどういう理由で死ぬかを知っていて、それを避けられないことを知っている。
最悪な瞬間も最高の瞬間も知っている。
カセットテープのように順繰りではなく、CDのように聴きたい曲の順に人生を味わえる。
戦争で捕虜になったと思えば、歯科医として成功したり。
死んだ瞬間生まれたり。
ビリー・ピルグリムの時間の見方は、悟りの境地に達した人間のそれに近いんじゃないかと思う。
時間に解き放たれた彼には、もう、恐れるものなどなにもない。
何もかも美しく、傷つけるものはなかった。

ヴォネガットに出会えたのは人生の幸運だった。
筒井康隆『着想の技術』を読んでなかったら出会えなかった。
筒井康隆に出会えたのは人生の偶然だった。
手当たり次第に本を読む若い時期があって良かった。

2013年8月1日は、普通に仕事で明け暮れていった。

午後のこと。
同僚のYさんに、ある業務について提案を受ける。
話を聞くと、5月くらいに課題になった案件らしい。
自分と同じチームになり、その課題は別チームの管理表にまだ載っており、未決のままであるという。
それを、そのままにしていいのか、というのが、提案の骨子だった。

そのままにしていいのか?
正面切って問われれば、いいわけはない。
だが、いいわけがないと大見得切っても、結局のところ、敵は見えないだろう。
敵が見えないまま、怒りが沈潜してしまう方が、精神的には不健康だと思う。

Yさんの感じている理不尽さはわかったが、問題の根本にあるのはコミュニケションの問題じゃないかと思った。
配慮に欠けた物言い、ちょっとした言い方の生む誤解、積み重ね、偏見、思い空気、などなど。

8時帰宅。
飽きずに、ザワークラウト食べる。

・キャベツ 1玉
・塩 キャベツの重量の2パーセント分(1キロなら20グラム)
・キャラウェイシード(1玉に対して小さじ1弱くらい)
・鷹の爪(1玉に対して7本くらい)

キャベツは4分の1に切り、芯を取り除いて千切りにしてボウルに。
ボウルに塩を振り、キャベツと一緒に揉み込む。
ボウルのキャベツを、漬物容器に水分ごと移す。この時にキャラウェイシードと鷹の爪を加える。
そのまま、必ず常温で漬け込む。2日前後でキャベツの色が急激に色あせたら、冷蔵庫に移す。
色あせる前に冷蔵庫に移すと、乳酸菌発酵が進まないのでダメ。
キャベツは、すべて漬け汁に浸るようにする。乳酸菌は嫌気性なので、空気に触れさせてはいけない。

5月から繰り返し作ってきたが、キャベツの色の変化を見極めて冷蔵庫に移すのが、ポイントであるような気がしている。
冬なら常温で漬ける時間は長くなるだろう。
この前作ったものは2日で色が変わったのですぐに冷蔵庫に入れた。

八月。
最高の想い出も、最低の想い出も、共にある。
当時はぱっとしてなくても、時が経って、あれは最高だったなと思う夏もある。
逆もある。
一瞬一瞬を生きるということに、敏感にさせる。
それが八月の役割なのかも。