役者として壁にぶち当たった時

人の良い面を見つけようとすると、誰でもいくつか持っている。
指摘してあげれば、イヤな顔をされることはまずない。
同じことを役者に当てはめれば、稽古中の場面で良いところを探すことになる。

逆に、人の悪い面を見つけようとしても、誰でもいくつか持っている。
自分と相手の相性、互いの人間的な特性によって、見つかる数には違いがある。
良い面を見つけるのは簡単だが、悪い面を見つけるのは難しいという人物は、みんなが付き合いたいと思うだろう。
逆の人物は、つまり、全部逆だろう。

役者に当てはめてると、悪いところばかり目立つ役者がいる。
そういう役者の良いところを探し、見つけ出すのが面白い。
悪い面に普段隠れている美点探し。
宝探しにも似ている。

自分の悪い部分は、何の自覚もなく向上する努力をせずに勝手に良くなることはない。
本人が何とかしないといけない。
思っているより3割くらい、自分のレベルは低いはずだと認識するクセをつけておいた方がいい。
でないと年齢を重ね、現場で先輩の立場になれば、すぐに慢心と停滞が始まる。

「うまくなりたい」
という言葉をよく聞くが、その言葉を発する人の多くは、うまくなるとはどういうことなのかを、漠然としか考えてないように思う。

「愛される役者になりたい」
それを「愛される」=「うまい」に脳内変換しているパターンもあるだろう。
「お客さんを呼べる役者になりたい」を脳内変換している人もいる。

うまい役者ってなんだろう。
上手い、巧い。
漢字は色々あるけれど。

技術が「うまい」役者がいたとして、それを理由にファンになる人はあまりいないだろう。
いるとすればその人自身も、技術の巧拙を価値基準にしているからだ。

理屈ではなく現象から逆算した「うまい役者」についての考えはこうだ。

・観ているお客さんが感嘆符つきで「うまい!」と、思ったり、発したりしてしまう役者

演技を分析してではなく、観ているうちに思わず感嘆符の「!」が先に来て、ついでのように「うまい」という言葉をつけてしまうような役者さんだ。

「よっ!」
とか、
「イエー!」
とかけ声をかけたくなる役者、でもあるのかな。

あるいは、
「むむむ」
「ほほう」
「いやあ」
うならせる系も、あるかも。

「何も考えてないです」
という役者が醸し出す良さもある。
20代までは。

そのまま、何も考えてないスタイルで進んでいける人ならいい。
だが、壁にぶつかったにも関わらず、何も考えないことをよしとし続けたら。
30代になってからだと、罪になる。
40代になったら、悪になる。

誰に対しての罪かというと、それまで彼をそうさせてくれていた先輩たちや、彼の良さを称えて芝居を頑張ろうと思った後輩たちへの罪だろう。
それは理屈ではなく、罪には罰が与えられ、悪には制裁が加えられる。
人生が、そのハンマーを振り下ろす。

芝居を続けていれば、
(おれ、これでいいのかな)
と考えることはある。

だから、考えずにはいられないのに、
「考えないようにしてます」
という態度をとろうとするのは、ムダな努力だ。
自分からは決して逃げられない。

…何を書こうとしていたんだか、わからなくなってきた。

自分はというと、二十代前半から中盤までは、自分の演技が「うまい」とうぬぼれていた。
それが後半から段々怪しくなってきた。
三十代前半に壁にぶち当たった。
舞台に立っても、客席をまともに見られない時や、客席の沈黙がストレスになって、演技がボロボロになることもあった。

今の自分は自分の演技をどう思っているか?
ノーコメントに決まってる。知るわけがない。

壁にぶち当たった時に、何とかしようと思って、日本映画をたくさん見た。
なるべく名優の出ているもの。名作とされているもの。
名優の台詞回しや表情の真似をした。

他には、日常生活でなるべく滑舌を意識して喋るようにした。
仕事中は声のトーンを低めに響かせるようにした。
バイトに行く時は姿勢を気をつけた。

そんなことを、地道に地道に、数年間やってた。

自分の作・演出・主演でマグの公演をやった時は、逃げようもないところへ追い込まないと、役者人生はおしまいだろうと思っていたからだ。
本番の演技は、とても下手だったと思う。
ビデオを見ても、叫んでいるばかり。
全然魅力がない。
ただ、あれで少し、壁に穴をあけることができたんじゃないかなと思う。
役と、自分と、やるべき芝居と、やりたい芝居の対立を、俯瞰して見るよう努力するようになっていった。

いい演技よりも、ダメな演技を本番でやってこられた経験の方が、役者としての自分の現在につながっている。
そう考えている。

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