1974年の竜馬像

7時起き。
着替えて実家を出る。

「やしま」で掻き揚げうどんを食べてから仕事へ。

午前中はデータ投入の作業が中心。
大きいトラブルはなかった。
少しずつ、時間にゆとりが出来つつあるので、やってきた作業を振り返って整理する。

昼、「西湖春」で焼きそば食べる。
あとは休憩時間をフルに使って昼寝をした。

午後、データ投入の他、気がついた細かい修正など。
忙しさの感じとしては、昨年9月くらいの状態に戻りつつある。

5時40分過ぎにあがる。

新宿のTSUTAYAにて「鬼火」借りる。

7時帰宅。
玄米がゆ、さばの缶詰、キムチで夕食。
一日に一回、玄米がゆを献立に混ぜるのが良いと、どこかに書いてあったが、確かに食べると体調が良いような気がする。

「竜馬暗殺」を最後まで観た。
この映画が公開された1974年、世間の人が坂本竜馬にどんな印象を抱いていたか。
現在とは違っていただろう。
よく知らないという人が過半数を占めたかもしれない。
「金八先生」がテレビ放送されたのが1979年。
この時、第一話で坂本金八が、坂本竜馬のことを生徒達に言うのだけど、シナリオ的には知る人ぞ知る幕末の英雄という扱いだった。

だから、奇をてらった竜馬像という類いの評は、この映画に関しては当てはまらない。
むしろ、数ある竜馬ものの映画やテレビや漫画や小説に先んじている。
フィクションが、国民の頭に作り上げた竜馬。
実際にいた竜馬は、そんな大した人じゃなかったと考えるのが自然だ。
もちろんすごい人なんだろうけども。
何から何まで竜馬のおかげとするのは、夭逝した人を利用する歴史の微調整だ。
白州次郎のように。

なので、映画を観ていても、竜馬が臆病だというふうには思わなかった。
むしろ、潜伏している設定にリアリティがあった。

白黒の16ミリ映像が、実に効果的だった。
黒澤明『用心棒』に似た音楽が流れ、白黒のざらついた画面に侍が登場するのは、日本映画へのオマージュのようであった。
脚本が清水邦夫でATG配給というのは、1970年代ファンにはたまらない。
原田芳雄は三船敏郎のごとし。
ただし、監督や演出に作られた人物造形じゃなく、オリジナルであるところが違う。

「はなれ瞽女おりん」観る。
篠田正浩監督。
画面が美しい。
wikipediaで調べてみたら、撮影が宮川一夫だった。
どこで一時停止ボタンを押しても、美しい写真になっている。
当時三十代半ばの岩下志麻が美しい。