ひどい

6時半過ぎに起きて炊飯器を覗くと、牡蠣の雑炊が出来ていた。
昨夜、牡蠣ご飯を仕込んだのだが、水加減を間違えたようだ。

8時半から仕事。

3つのうちひとつの仕事を午前中に終える。
大変なのは技術ではなくて、めんどくささだ。
列を順番に並べたり、おなじような文字を繰り返し書いたりなど。
そういう作業を面倒だと思うのは、疲れている時だから、午前中にやってしまうに限る。

昼、弁当を食べる。
朝は雑炊だったが、かなりやわらかめの飯という感じになっていて、なんとか普通に食べられた。

午後、同僚が早退したため、依頼仕事と同時にメンテナンスもこなすことになり、とたんに依頼仕事が進まなくなった。
ちょっと手をつけると、他の仕事が来る。
まとまったフリー時間は重要なのだな。
あと、ちょっとした仕事を瞬時に片付けられる体制も。

30分ほど残業してあがる。
朝はかなり暖かかったので上着を着ていなかった。
外は寒かった。

中野で降り、新井薬師へ向かう。
マグネシウム不足で利用を検討しているスペシャルカラーズというスペースの見学。
ワンドリンク制のライブイベントに特化した作りになっており、L字型のスペースの端にはカウンターが。
広さは、マグ不足でやるには十分だった。
担当の方に色々質問をし、下見を終える。

中野大勝軒で夕飯。
消費税の影響で値段が上がり、麺も少なくなった。
同系統の新中野大勝軒はどうなったろうか気になる。

9時前帰宅。

川崎の中学生殺人事件。
あまりにも気の毒で、やりきれなくなる。
どうすれば良かったかを論じて、責任を追求しても、この気分は晴れないだろう。
身内の方の気持ちはいかばかりか。

犯人の身元をネットで拡散する人々が、怒りに駆り立てられているのはわかる。
もし自分の身内にそんなことをされたら、オレもそうなる。

中学生が、先輩に目をつけられることは、大人が考えている以上に絶望的だ。
大人達もかつては中学生だったのだから、思い当たるフシはあるはずだ。

小学三年生の頃。
クラスは殺伐としていた。
大人の視点でみれば、元気な子供達としか見られなかったろうが。
子供の間では深刻ないじめが横行していた。
俺もいじめられた。
原因は給食が食べられなかったから。
それまではおかずを残して良かったのだが、新しいクラスの先生は許してくれず、食べられないまま机にトレーを残し、教室で休み時間を過ごしていた。
食べられなかったパンを机の中に隠し、イヤな匂いを放ったりしていた。
いじめは、そういう子供がまず標的にされる。
子供の方が大人より本能に敏感だからか、給食を残すこいつは、生存競争に弱いと判断するのかもしれない。
先生は、そんなこと夢にも思わなかったろう。

秋の学芸会で主役をやったこと。
その頃から成績が上がり、習字で学年代表になったりして、とりあえず頭の良い子と思われるようになったこと。
あとは、給食を残さないために、口に含んでトイレに行ってはき出す方法を考えたこと。
この三つがあったおかげで、いじめはいつの間にかなくなった。
だから、俺がいじめにあっていたのは、7月と、9月と10月の三ヶ月間だった。

Nさんという転校生の女の子がいた。
彼女は目鼻立ちがかなりはっきりとしていた。
日本人離れした美人になる顔だったと今にして思うが、それゆえに彼女は執拗にいじめられていた。
クラスの男子は「N菌」といって、Nさんの机や持っている文房具が、汚らわしいものであるように扱い、触れたら互いになすりつけ合っていた。
それから、上履きを男子トイレに放り込まれたり、鞄を捨てられたり、給食をひっくり返されたりしていた。
執拗ないじめだった。

Y君という友達は、YG君という友達に、無理矢理仲間にされていた。
Y君は、YG君と遊ぶといつも遅い時間までつき合わされたり、やりたくないたずらに荷担されたりしていた。
家にYG君が来た時、母親に「僕はいないと言って!」と叫んだ話を聞いたことがある。

ひどかった。
8歳から9歳の、大人の目から見たら「元気でかわいい子」達の世界には、どろどろしたいじめが当たり前のように横行していた。

いじめられないようにするには、一目置かれる何かを持つしかなかった。
それは、勉強でもスポーツでも、笑わせる才能でも容姿でもなんでも良かった。
Y君はその後、とても成績が良い子になり、YG君と遊ばなくなった。
Nさんは別の小学校にわかれ、中学で一緒になったが、その頃はとても明るい元気な子になっていた。

いじめは、絶対になくならない。
「いじめなんかなかった」
と振り返る人は、見えていないだけだと思う。
世の中には、一生いじめられることなく過ごす人もいる。

上村くん、怖かったろうな。
かわいそうとしか言えない。本当に。なんて事件だ。