今頃になって小橋

7時過ぎに起きて、早過ぎるぜとぼやいて寝て、1時過ぎに起きて、遅すぎるぜとぼやいて起きた。
これじゃ二泊一日だ。

着替えて、自転車で高円寺へ。
「七面鳥」でカツ丼食べる。
昭和の雰囲気が色濃く残った中華大衆食堂で、高円寺という土地柄からか、若者で賑わっている。

買い物をして帰宅。

小橋建太の引退試合を、今頃になって動画で見る。
感情がかき乱されるのを本能的に恐れて、見るのをあえて避けてきたところがある。
三沢光晴死去の時と同じだ。
ノアの全盛期は小橋の絶対王者時代と重なる。
2005年7月の東京ドーム大会を見に行って以来、生観戦から遠ざかっていたのは、小橋と健介戦の感動を純粋なまま保っていたかったからだった。
ところが2006年の夏からおよそ一年半、小橋は腎臓癌のために戦線を離脱する。
ノアに小橋がいないのは、この時だけではなかった。
2001年は膝の手術で入院していた。
当時ノアを支えていたのは秋山準だった。
新日本のリングで永田と戦っていたあの頃の秋山は、本当に格好良かった。
2006年から2007年のノアは、三沢が支えていた。
泉田純の暴露本では、このあたりから詐欺師がタニマチとしてまとわりつきはじめたようだったが、小橋が癌になっていなかったら興業は安定しただろうし、そうなればお金のためにペコペコすることはなかったろう。

ノアについては心残りがあり過ぎる。
衰退していくさまを知りながら、面白かった記憶を守りたいがために、目を塞いできた。

だが、プロレス団体には、寿命というものがある。
常にメジャーであり続ける団体はない。
猪木時代の新日は、三銃士時代の新日とは違うし、今の新日はさらにまた違うだろう。
今のノアも当然、小橋がいた頃のノアとは違う。
別の新しい何かに変わるため、必死でもがいてるのかもしれない。

夜、昆布で出汁を取り、湯豆腐を作った。

最近、視力トレーニングを始めた。
先日受けた緑内障検査で、目をほめられたのが嬉しくて、調子に乗ってしまった。
中学の時から近視で、視力は0.3以下の時代が20代の後半まで続いた。
眼鏡は持っていたが、かけるのが嫌で、大学の授業で後ろの席に座った時などは、オペラグラスを使って黒板を見ていた。
その後、視力は0.4から0.7くらいまで向上した。
右の方が悪い。
近視の人間は、近くのものはよく見えるので、本を読む時は眼鏡がない方がいい。

目玉を動かす外眼筋と、ピントを調節する毛様体筋を、交互に訓練している。
筋トレと柔軟だと思うと、俄然やる気が出るのが不思議だ。