ゆとり世代のこと

朝、父がアメリカの文句を言う。
「昔、仕事でシアトルに行った時にな、食堂に入ったら、東洋人だってんで追い出されたんだ。そん時に、この国はダメだって思った」
おそらく60年代初頭のことだろう。

仕事に行く途中、竹橋駅のタイル模様を見る。
改修のため、所々ピンク色になっており、意図してそうしたアートにも見える。

新しいシステムは1月中に作ると先々週に答えた。
一昨日その報告をし、更新は来週にするということに落ち着いた。
よって昨日と今日は、先々週以来久しぶりに、ものを考えながらゆっくりと仕事ができた。

とはいうものの、やり忘れた作業が次々に出てきて、その都度修正を施すため、暇であるとは到底言えない。
去年の今頃はヒマ過ぎて、メールをする時にわざわざ仮名入力にして時間を稼いでいたくらいだが、今や時間が貴重だ。

帰りにマルエツで冷凍えびをまとめ買いする。
800円くらいで売っていたすり鉢も買う。

去年梅干しを作った時に干しておいた紫蘇を、すり鉢で砕いてゆかりにした。
ミル付きの小さいミキサーを持っていたのだが、去年久しぶりに電源を入れたら壊れていた。
同じくハンドミキサーも壊れていた。
食器も、欠けたのを処分しないと。
新しい食器棚が欲しい。
20年も今のを使ってるんだ。
贅沢とは言えないだろう。

炊飯器なんか、25年も使っている。
死ぬまでこいつと一緒かなあと思ったりする。

昨日からゆとり世代について考えている。
「ゆとりは世界を救う」
という文言で検索したら、「TVタックル」の番組内容がヒットした。
過去にそのテーマで放送したことがあったのだろう。
見なくても内容がわかる気がする。

上の世代から叩かれてもあまり気にせず、知識や技術の伝達に上下関係を伴わないことが、ゆとり世代にとって自然な状態なのだろうか、と想像してみる。
上に褒められることとは関係ない次元の努力を、するやつはするし、しないやつはしない、ということになる。
どの世代もそれは一緒だろう。
ただ、他の世代に比べて、上の世代の言う通りにして気に入られるやつが少ないかもしれない。

若い世代が、年寄りの言うことを聞くなんて、ろくなもんじゃない。

世代論は、血液型占いと同じで、座興として語る程度のものだと思う。
その上であえてゆとり世代を考えると、世代ではなく、「ゆとり世代的」という言葉が浮かぶ。

たとえば、星野源。
ゆとり世代ではないが、なんだかゆとり世代的な人だ。

PENTATONIXや、OK GOも、国は違うが、なんだかゆとり世代っぼい。

ネットが当たり前の時代に生きることで、ナショナリズムが希薄になっており、相対的にグローバリズムを体感している世代、だろうか?

オレは、たまたまゆとり世代に属する人のファンである。
我々世代が「集中力」と呼んでいたものは、かの世代では違うものになっていると思う。
「没頭力」とでもいうべきだろうか。

昨日仕事先で見た、ゆとり世代Nさんのプレゼンも良かった。
我々の前で披露したのは練習で、本番はもっと偉い人の前でやるらしい。
つまんねー批判とかツッコミとか、されんだろうなきっと。

今朝、上着をハンガーにかける時、Nさんに会ったので、言っておいた。
「8年間、色んなプレゼン見てきたけど、一番良かったです」
「ほんとですか? 超うれしいです」

これでよし、と思ったね。