今の状態が母のゴールだと思う

8時半起き。冷凍していた鯵の開きをレンジで温め、わかめを戻して味噌汁を作り、ご飯をレンジで温め、納豆にからしとタレを入れて混ぜ、ご飯と味噌汁と鯵と納豆をトレイに並べ、梅干しをご飯にのせ、朝飯の支度が終わった。起きてからぴったり10分だった。

午前中、トゲトゲさんツールの作業をする。これまでは前任者からの引き継ぎとしてやっていたが、今後はオレ担当として新しく行う。

ゆえに、既存ツールのクエリを、今度こそという感じで一から調べ直すことにした。

出力するのに必要な項目はたった4つなのに、必要のないフィールドを何十個も保持し続け、元データからリレーするように追加クエリを実行しているため、データ量は多いし、どれが必要な情報なのかわからないしで、分析するのが大変だった。

また、実行用追加クエリを別のaccdb に保存し、ツールから新規Access を開くという動作でそのaccdb を開き、中のクエリをリモート実行する構造なので、複数のAccess を同時に開いて検証しなくてはならず、それも面倒だった。これって、INSERT INTO [追加先.accdb][追加テーブル] みたいなSQL を書いた方がいいんじゃないかと思ったし、そもそも別のAccess を立ち上げて実行する動作にする必要あるのかな? とも思っていた。たぶん、外部のデータベースから取得するデータが200MBを超えるため、自ツールに取り込むと実行時に重くなってしまうためにやったのだろうが、それなら外部テーブル扱いにしてツール側にリンクテーブルを置けばいいし、わざわざAccessアプリケーションのオブジェクト操作をしてやるのは、ご大層というか、メリットがわからなかった。

ツール側から外部ファイルのAccess を閉じると、開かれた外部ファイルが閉じる時の自動処理として行う最適化との間にタイムラグが生じ、おそらくそのためか、Database.mdb がやたらに作られてしまうようになっていた。これは最適化中に作成される一時ファイルだが、最適化が終わればリネームされる。残っているということは、最適化しているのに途中で終わった、ということだろう。

ともあれ、そういう諸々を一気に解決した新ツールを作るか、既存ツールの改修を最小限に留めて楽するか、道は二つに分かれている。

昼、久しぶりにランニング。方南町まで走り、『栄楽』で大盛チャーハンを食べ、走って帰宅。暖かかった。

午後、どさん子ツールクライアントからメール。これまでやった姉ツールの改修はとりあえずオーケーらしいが、後日また別の依頼をするという予告だった。しかし、このツールも日に日に知識が増えており、今回の作業では、古いコメントを削除し、少しずつ自分の記述スタイルに寄せる作業をした。

夕方、どさん子の最終更新をして、今週のワークは終了。

7時過ぎに家を出る。西葛西へ。8時半実家着。母は忘年会に出かけていなかった。

母の友達がマンションの上階に住んでいる。年は母の三つか四つ下だが、電話で母がその人と話している時、漏れ聞こえる声を聞く感じでは、母よりずっと老けているように思えた。

その友達さんが、

「今日は息子さんが来るんだったらこれを二人で食べなさい」

と、かつやのカツカレーを買ってきてくれたらしく、居間のテーブルにそれが置いてあった。

夕食にそれを食べた。

食べ終わると母が帰ってきた。

母は今年の7月からホスファチジルセリンのサプリを飲んでいる。10月に中身をチェックすると残り少なくなっていたので、新しく買ってまた補充した。100錠入りで、ひと袋3ヶ月もつ。

このサプリは、やんわりとした認知症対策と、やる気減退対策のために買った。それ以外にオレ個人の目論みとして、ADHD的な症状を緩和する方向に作用しないかと期待するところがあった。

以前、父が抗がん剤治療を始めた時、副作用のケモブレインに陥り、認知能力が一時的に低下したことがあった。その緩和と抗癌効果のため、ホスファチジルセリンのサプリを買ったことがある。しかし、この時買った製品はカプセルのサイズがかなり大きかったため、結局、父はあまり飲まなかった。

今買っているサプリは錠剤タイプで、サイズも小さく、飲みやすくなっている。

また、プラスチック容器ではなく、袋入りタイプを選んだ。母が毎日飲んでいるビタミンEなどのサプリは、輪ゴムでまとめて冷蔵庫にしまってある。袋入りタイプなら、その束に足すことができるため、なんの面倒もなく毎日飲むサプリに追加できると思ったのだった。

個人主観だが、効果はかなりあったと思う。母は、ここ数年ずっと陥っていた落ち着かない状態から解放されたようだ。サプリの効能はそちらがメインで、おそらく、落ち着きを取り戻した副産物として、日常生活のやる気を取り戻したのだろう。要するに、昔の自分に戻れたようなものだ。

そのことに気がついたのは9月上旬だった。

キッチンがきれいになっているのだ。

7月以前の母は、食後すぐ食器を洗うということを面倒くさがるようになっていた。そのため、夜中キッチンに行くと、洗い物がたまっていることが多かった。父が死ぬ前からそういう傾向はあった。本人も「面倒くさいのよ」と、よく言っていた。

その状態が、9月頃からかなり改善されていた。真夜中にキッチンに行くと、洗い物はすべて片付けられていた。

また、元々活動的な人であったが、今年の秋頃から、スポーツクラブの旅行、友達との旅行、妹との旅行など、そういう旅行を存分に楽しむようになった。

10月には、昨年亡くなった伯父の一回忌に一人で行き、斎場の階段を事もなげにひょいひょい上り下りし、支えようとした従姉妹をびっくりさせたらしい。昨年、伯父が亡くなった時は、一人では不安で行けないというので、オレと妹が付き添って斎場まで行ったというのに。

そして今日は、ママ友との忘年会に行き、「あたし酒は強くないけどつき合いで2杯飲んだわよ」と、がはは笑いをしている。

あと24日で母は86歳になる。たぶんもう、認知症の心配はしなくていいんじゃないかと思う。ここ数ヶ月のストレスフリーな感じは、老後の姿としてまことに理想的で、羨ましいくらいだ。上の階に住んでいるお友達も、おそらく、その感じの母と接することが、かなりの慰めになっているのだろう。普通、息子が帰ってくるからというんで、カツカレーなど買ってきてくれるか?

たぶん、今のこの状態が母のゴールだ。このまま同じような感じで、日々を回して行けばいい。付け加えるべきものは何一つない。

それで思い出した。オレが高校生の頃だ。

親戚の集まりに参加して帰って来た母が、珍しく捨て鉢な状態になっており、父にあたっていた。理由は、姉たち一同がみんな老後の計画をしっかり立てているのに、我が家はまったくできていない、とかいうものだった。たぶん、ファイナンス系の計画だろう。うちだけ全然していなかったため、劣等意識を感じさせられたのではないか。こんなんじゃ老後は不安だ、お先真っ暗だ、みたいに。

しかし、幾星霜を経た令和五年の現在、その集まりにいたメンバーのうち、存命は母一人だ。85歳の年の暮れに忘年会へ行き、ママ友と中華料理をがっつり食べ、2杯飲んじゃったわよと言いながら、がははと笑っている。

これは、どう見たって母の勝ちだろう。

それにしても、毎日スポーツクラブに通い、プールで泳ぎヨガをする85歳という存在は、スポーツクラブにとって絶好の宣伝材料になるんではないか。ギャラ代わりに無料会員にすればいいと思う。元気なお年寄りとして取材がきたっておかしくない。

もしそうなった場合にオレが危惧しているのは、取材されていると意識した途端、母が、貴婦人を演じるであろうことである。

この人は必ずそれをやる。「あたくし85歳でございますでしょう?」という、ざます言葉を使う。