9時半に起きた。昨日はいつ眠ったのかよく覚えていない。お腹が張っていた。張っているのに空いていた。讃岐うどんを茹で、茹であがり1分前に蕎麦をひとつかみ加える。暖かいまま器によそり、つけつゆをかけて食べた。
昼までこたつで何もせず過ごしてから、着替えて出かける。図書館に予約した本が届いたので取りに行く。散歩がてら歩いた。本を2冊借りてから、新高円寺まで歩く。ブックオフに入って、気になっていた本を探すが、そのジャンルはまったく置いていなかった。立ち読みを少しする。宇多丸の『ババア、ノックしろよ!』を少し読む。40代女性がまだ若かった時のエピソードが面白い。実家住まいなのに彼氏が泊まりに来て、声を潜めてコトに及んでいたら、いつの間にかふすまがあいており、母が真顔で仁王立ちしていた。母と娘のやりとり。「ふすま閉めて」「閉めないわよ」「閉めて」「閉めないわよ」「閉めて」「閉めないわよ」…
マクドナルドでハンバーガーとしょうが焼きバーガーを買う。2時半帰宅。コーラを飲んでバーガーを食べる。
4時、走りに行く。善福寺川を上流に向かって30分走って戻る。昨日よりゆっくりとしたペースで走ったが、信号がないので止まることがなく、1時間で9キロちょっと走れた。
夜、ウエルシアで買った雑穀弁当食べる。
アレルギーのことを調べていたら、経口免疫療法の記事をいつくか見つけた。反応が出ないごく少量を毎日摂取し、段階的に量を増やし、目標量に達したら二週間おき、再び同量を摂取して反応が出なければ治療完了らしい。ここ三日オレがやっていることと同じではないか。本来は医師の厳重な管理の下で行わないといけないらしい。アナフィラキシーショックを起こすこともあるからだ。
蕎麦アレルギーを発症したのは12才から13才の頃だ。以来、蕎麦を口にすることなく過ごしてきた。十代の頃は反応が過敏で、そば殻の枕で寝ると翌日目が真っ赤になった。そばと同じ鍋で茹でたうどんを食べると、口の中が痒くなった。二十代になってから、反応はそこまで過敏なものではなくなった。最後にアレルギー反応を体験したのは28才の時だ。胃が重くなった。牡蠣にあたった時に似ていた。
この三日、蕎麦を口に含んでも、口の中が痒くなることはなかった。食べた量は、盛りそばでいえば、つゆにつけて食べる時の半分くらいだった。食べてから胃が重くなることもなかった。蕎麦アレルギーの反応が鈍くなっていることは間違いない。問題は、どこまで量を増やせるかだ。アレルギーは、体内に入ってきたタンパク質に対して免疫機能が過剰に働くことだが、人は、口から入ってきたタンパク質に対しては、免疫機能が働かないようにする機構をもっているらしい。だから、その物質に対して慣れるには、食べるという行為が重要なのだ。
蕎麦を食べられなくても、これまで困ったことはない。でも、食べられるようになったら、食生活は激変するんじゃないかと思う。
10月に亡くなった田和くんの父君から封書が届いた。A4サイズでワープロ打ちされた8ページほどの文章が入っていた。田和くんが亡くなった経緯と、葬儀から現在までのことが詳細に綴られていた。最後の方に、来年命日を迎える際に、集まりの場を設けてくれないかという言葉が綴られていた。胸が詰まった。
田和くんの葬式が終わった次の週、彼のメールアドレスにメールをした。「田和くーん、ありがとう」とだけ書いた。送信不可にならず、無事届いた。それから三日くらいして、田和くんからメールが帰ってきた。稽古帰りにそれを見た。驚いた。死んだ田和くんが返事を送ってくれたように思った。中を読むと、妹さんからだった。「どなたですか?」と書いてあった。兄のスマホを整理しているらしかった。事情を書いて再び送信した。たぶんもう、そのアドレスは使えなくなっているだろう。
なにか手伝えたらと思う。個人をしのぶ映像なら「賞味期限の切れた毒薬」を編集すれば作れる。プライベートで撮った写真もいくつかある。