長い長い連想書き

5時半起き。

トマト棚が傾いてきたので、補強用の支柱を刺し直した。
若芽がいくつか折れていた。青虫にかじられ、切断されているのがわかった。割り箸片手に青虫を探した。三匹見つけた。つまんで地面に放った。

トマトを5個収穫した。トータル107個。きゅうりは、思ったほど大きくなっていなかったので、蔓に下げっぱなしにしておいた。

牛肉を焼き、タレをつけて食べた。トマトも食べた。トマトは小さいが、真っ赤に熟してから収穫したので、味がとても濃かった。

「Future Pop」を聴きながら自転車で仕事に向かった。昨日点灯しなくなっていたライトは、USBで一晩充電してもつかなかった。Amazonの商品レビュー読むと、雨でつかなくなっていた時、日にさらしていたら復活したとあったので、放っておくことにした。

午前中、ルーティン作業を二件こなす。
電話確認の作業を昨日頼まれたが、確認に必要な業務知識がないので、先方になにか質問されても答えられない。それなのに電話していいものだろうかと思う。契約上、電話の仕事は含まれていない。ツール作成が中心で、業務は手伝うくらいのレベルのはずだった。しかし現状では、業務とツール作業の割合は3:1くらいだ。業務をやることに特に不満はないが、説明なしにぶっつけで頼まれ、わからないので自力で調べて解決していくことが多い。そういうのも嫌いではないが、電話のように顧客が相手だったりすると、ガキの使いになってしまう。

『64』読む。事件発生。被害者の名を松岡に尋ねる場面まで。

午後、電話をかけるのを引き延ばす。2時まで眠気に流された。
流されるまま、頭の中で色々なことを連想する。

初めて演劇の台本を書いたのは二十歳の時だった。夏の終わりだった。その頃、タイミングよく失恋しており、感情的に揺れ動いていた。それは、書くときのエネルギーの源になった。
ワープロをまだ使っておらず、方眼紙に手書きで書いた。一晩で完成させた。どんな話だったかはまったく覚えていない。
翌日、同じようにもう一本書いた。確か、世界が滅びるという設定があったような気がするが、あとは忘れた。
二作とも、忘れようと努力をした。そして忘れた。忘れられてよかった。
恥ずかしいことを思い出して「あーっ!」となることが時々あるが、処女作と二作目はそんなもんじゃ済まないだろう。ドラクエ5でパパスが死ぬ時の声、ぎょえーっ!レベルだ。

三作目を書いたのは数ヶ月後だった。ワープロを使うようになっていた。
内容は、夢を売る会社の話だった。アシモフの短編から設定を拝借し、主人公を浪人生にした。あとは覚えてぎょえーっ!

しかし夢を売る会社という設定は面白い。さすがアシモフ先生だ。午後1時から3時まで昼寝して、見た夢を創造物として売ることができたらどんなにいいかと思う。

黒澤明は言った。夢は天才である。
人は誰でも夢を見る。天才機能がインストールされている。
使わない手はない。だがどうやって?
見た夢をメモして記録すること。その夢が心のどこからやっていたのか考えること。夢の材料はどの記憶かを考えること。夢診断や占いに頼らないこと。
考えることが大切だ。あと、筒井康隆「夢の検閲官」を読んでおくといい。その後で『夢の木坂分岐点」を進むのもよし。気に入ったのならお友達だ。

見た夢を、「オレの夢、超面白いよ」と話す人の夢はたいてい嘘である。見たと言い張るのはそっちの勝手。信じないのはこっちの勝手。友達になれない。

夢の舞台となる町は色々だ。昔住んていた町、今住んでいる町、知り合いの住んでいた町、仕事で通った町。最近、夢に出てきた町が、少しずつひとつの大きな町に融合されてきた。起きている時に、その町の地図が作れないものかと思う。それができれば、夢を見るときに、町の像がよりくっきりとしてくるんじゃないか。そうすれば、夢の中の行動が、より自由になってくるんじゃないか。

去年やっていた芝居は、夢の方が現実で、現実の方が夢だという設定にしていた。はじめからそうするつもりはなかったが、途中の場面を書いている時に突然そうなった。
おそらく、自分の中に、夢というものに対する強いこだわりがあり、書いている展開がそちらに近くなった時、強い力で引きずり込まれたのだろう。
台本を配った時のことを思い出す。高井戸の某稽古場。出演者たちは頭の上にクエスチョンマークをちょんまげみたいに乗せ、「どういうことでござるか?」と言いたそうな顔をしていた。

去年の稽古中、失語症にかかっていた。喋ろうとしても、言葉が出てこなかった。もちろん喋れないわけではないのだけど、面白いことは一切しゃべれなかった。「しゃべり、つまんない病」にかかっていた。「スベる話病」にもかかっていた。喋ると長くなり、落ちはなく、スベりやすかった。

唯一ウケたのは、稽古場で雑談していた時、株の話になり、
「上場するなら株をくれ!」
という、ネタ帳に書いていたセリフを言った時だった。まあまあのフレーズだが、芝居とは一切関係ないので使えなかった。今度使おう。

「スベる話」病の患者といえば、「エッセイ書いて食ってく自信がある」とほざく演劇人がいた。そいつは、「しゃべり、つまんない病」にかかっていた女の子にしょっちゅう話しかけては笑わせていた。気の毒な眺めだった。奴がエッセイストになった形跡はない。ある日突然結婚して演劇を辞め、連絡がつかなくなったと、そいつの劇団の相棒が言っていた。ウケた。

この夏は思い立ったことを気ままにやっているので、時間が立つのが早い。この分だと8月31日は溜まった宿題に追われそう。ドラえもーん!
最近、「ドラえもん」を読み返していたら、大人になったしずかにグッと来た。和服が似合うタイプだ。奥さん、と迫って、いけません、とか言われてみたいと思った。子供の頃はそんなふうに「ドラえもん」を読んだことがなかった。

グッと来る、といえば、あまり好きではない漫画「酒のほそ道」の、かすみには、グッと来る。

「タッチ」の南ちゃんには、グッとこない。新田の妹の方がまだいい。あと、黒木と付き合ってた、マネージャーの西尾佐知子。

あだち充顔の女優っていると思う。綾瀬はるかがそうだと気づいたのは「海街diary」を見た時だった。
鈴木京香もそうだと思う。

二十歳の時に失恋した理由は失言。「福笑いみたい」と相手の顔を見て言ってしまった。その後、無言という反応はどれだけ恐ろしいものなのかを学んだ。

養成所にいた時、稽古中アドリブで腕をぶん回したため、共演者の女の子の顔面に思い切りパンチを当ててしまった男がいた。女の子の顔は腫れ上がった。その日の夜、その子から電話があった。「大丈夫?」「大丈夫じゃないけど聞いてよ」「なに?」「さっきまで、あいつ(殴った奴」の車に乗っててさ」「病院送ってもらったの?」「違う。告白されてた」
その子は、確かに可愛い子で、何人かに告白されてはいた。しかし、殴ったその日の夜に告白する男も男だ。
「で、どうしたの。オーケーしたの?」「するわけないじゃん。でも、断ったらおろしてくれないと思ったから、返事保留した」
その後、馬鹿話をしてから電話を切った。普通に友達だったので、そうやって馬鹿話できるのが楽しかった。でも、合宿旅行をした時、その子の写ルンですで馬の交尾を撮りまくったら、現像後、蹴っ飛ばされて怒られた。

かわいい子いっぱいいたなあ。何を言ってるんだ? でも、演劇をやっているのだから、当たり前なのかもしれない。
しばらく舞台に立っていないと、東京湾から姿を消した魚・アオギスを懐かしむ漁師のような気持ちになる。

「可愛いだけじゃダメかしら」といえば、イザベル・アジャーニの映画だ。この時38歳だったが、20代前半の役を演じて違和感がなかった。もっともイザベル・アジャーニは、可愛いだけの人ではないと思う。裸見せたがりーの、アンチエンジングモンスターだ。船乗りを幻惑し船を岸辺に呼び寄せて沈没させる魔物のたぐいだ。女神転生の邪教の館ではきっとエルフ系の魔物と何かを合体させて作るやつだ。

イザベルはおいといて、やっぱり可愛いだけじゃダメだと思う。ピッチャーに例えると、160キロ出せればいいというわけじゃないのだ。130キロでも、バッターの呼吸を読み、コントロールを駆使して打ち取り、何百勝もあげるピッチャーはいる。160キロ投げても、2年で肩を壊しては意味が、ん?
美人薄命ってそういうことか? 160キロ出せるのは今年だけ。あとは花と散るということか?

かわいい、は、受け止める人ごとに個人差がある。
そりゃ、お前はかわいいと思うかもしんないけど、オレは猫耳嫌いだし、人差し指と親指でハート作られるのも勘弁してほしいよ。同棲してみ? もたなくなるぞ?

誰に言ってるのかわからないが、同棲は相手との物理的距離感が変わり、1メートル以内に相手の顔があることが当たり前になってくる。その距離感によって、美のバックステージは丸見えになる。

相手の、ナチュラルでブサイクな寝顔を、かわいい、愛しいと思えるようになると、勝ちだろう。
寝顔には作為がない。その寝顔が、思ったよりブサイクで、でも、それを可愛いと思えることは、偉大な一歩であると、これから同棲をするカップルの男には言いたい。
ただし、寝ている彼女の頬を持ち上げ、やらせの変顔を作ったり、おでこに「肉」とか書いたりすると、別れは遠からず訪れるので、注意が必要だ。
もちろん、女性も、寝ている彼氏の眉毛をマジックでつなげたりしてはいけないし、まぶたに目を書いて、「寝ているのに目が開いてる人」にしてはいけない。絶対するなよ、と寝る前に言われても、してはいけない。絶対するなよ?

ああ疲れた。何も考えないで連想だけでわーっと書くと、こういうふうになるのか。

6時半帰宅。走りに行く。青梅街道を新中野方面へ。
土曜日に松島くんと飲むので、その辺りで祭りをやっていたら、居酒屋使いをしようと思った。しかし、夏祭りのシーズンは先々週もしくは三週前の土日だ。お盆明けに納涼祭をやるところもあるが、規模は小さい。
果たして、新中野の鍋横商店街に着くと、夏祭りのポスターや立て看はなかった。
そのまま、青梅街道を中野坂上方面に少し走り、左に曲がって住宅地に入り、再び青梅街道に戻って、元来た道を帰った。6キロ半だった。

『64』読了。
結果的に謎解きものだったが、最後の最後で謎解きものであることがわかる構造だった。三上が、捜査車両の中で、尊敬する松岡と部下が仕事をしている様を、刑事ではなく広報として見ていく場面はよかった。赤間のセリフは終始フリーザみたいだった。女性の描き方は、やや、ご都合主義ではないかいなと思った。美那子と美雲。どっちも美人で、名前に「美」があるところとか。ただ、それを言ったら登場人物たち皆が、ある程度類型的ではあった。

YoutubeでNHKドラマ「64」の宣伝動画を見た。しっかり撮られていた。見たくなった。