今まで読んだ本の数

6時半起き。
トマト棚が傾いていた。四本の支柱は地面に刺さっているので倒れることはないが、蔓の重さと風で斜めに傾いてしまっていた。それらを直す。
若芽の茎の部分があちこちで折れている。おそらく青虫の仕業ではないかと思う。割り箸片手にぐるぐる回って奴らを探すが見つけられなかった。
バケツ六杯の水を足した。

暑そうだったので、ハンカチを水に濡らして首に巻き自転車に乗って初台に向かった。それほど暑くなかった。風が気持ちよかった。麦わら帽子と白いワンピースの美少女を後ろに乗せて海辺の道をどこまでも漕いでいきたくなった。そして二人乗り運転で捕まり、自転車は盗難届が出ているやつで、二人してパトカーに乗せられ、別々に取り調べを受けるうちに余罪が次々と明るみになり、あんな女乗せなきゃ良かったと後悔しながら留置所で朝を迎え、同じ頃少女はパックをはがすみたいに顔の皮をベリベリとめくっていて、中から初老の男が現れ、お疲れ様でした警部とか言われた頃、自転車は初台に到着した。

17歳から現在まで何冊の本を読んだのかふと気になったので数えてみた。2011年以降は読書メーターに読んだ本を記録しているから、それ以前は記憶を頼りに思い出していく。すべては無理だが、一年に何冊くらい読んでいるか大体の冊数はわかった。足してみると、二千冊をやや超えるかな、といったところだった。思っていたよりも少なかった。
17歳の時は読むスピードが遅かった。そして、読書時間を確保するのがけっこう大変だった。通学に自転車を使っていたので、家にいる時に読書の時間を意識してとらないといけなかった。大学時代の前半、実家から通っていた時は、電車の中で時間を確保できたのでけっこう読めた。一人暮らしを始めてからは全然読めなくなったが、やがてバイトへの行き来や休憩時間が新しい読書時間になった。
その頃、本は古本屋で買っていた。新刊を読むことはあまりなかった。読むとしても文庫になったものが中心だった。図書館でネット予約ができるようになってから、読書量が急に増えた。
といって、知識量が増えたわけじゃない。年をとるごとに記憶力は低下し、読んだ後、覚えていられる量が減ってきている。
でも眼鏡なしで読めるだけマシだ。針に糸も通せる。糸に針だって通せる。もともと近視気味なので近くのものはよく見える。
その代わり遠くのものはそれほどよく見えない。眼鏡なしで平気だが、5メートル先に美人がいて、こっちを見て笑顔になったとして、笑っていることはわかっても、会えて嬉しい満面の笑みなのか、やべえ嫌な奴に会っちゃった早くやり過ごさなきゃという固まった笑みなのか、判断できるほど良くはない。
離れたところで女性に笑顔を向けられ、好意を持たれていると確信したものの実は冷笑嘲笑の類だったことが過去に何度あったか知れない。彼女たちは「バカな男よのう」とオレのことを記憶しているのだ。微笑みがえしなんてしなきゃ良かった。

昼過ぎになると眠くて仕方ない。昼食はツナサラダとフライドチキン。そんなに食べていないはず。だからインスリンによる血糖値低下の眠気でもないはず。しかし先週から午後になると眠くなることが多い。もしもパトラッシュがそばにいたらたちどころに、天国への階段か、地獄へ道連れか。

夜、実家へ。「たまむすび」を聞きながら帰る。夕食は餃子だった。40個くらい食べた。

実家PCの調子は良かった。Linux mintを昨年インストールして以来、固まることがやたらに多かったが、そういうこともなくなった。そういうわけで実家ではLinuxを使っている。親指シフトアプリがWindowsのと違うのが唯一困った点だが、使えないことはない。

2時間ほど文章を打ち込んだ。疲労感があった。この疲労感に馴染まないといけないと思った。

部屋に戻り、棚の整理をしていたら、大学入試の時の試験問題が出てきた。自己採点の点数が書いてあった。課目は外国語。洗濯問題。どれどれ、と問題文を読む。家事を手伝う夫の割合についての文章があった。戦前? なわけない。でも男女雇用機会均等法は昭和の終わり頃だ。時代の問題は世代の問題。大学に入って、卒業した時、日本は別の国になっていた。